西山幸輝 壮士肌の黒幕的行動派⑧雌伏の五年間
[日本の右翼]猪野健治著 昭和48年
[日本の右翼]猪野健治著 昭和48年
日本の右翼 その系譜と展望 猪野健治
日新報道出版部
西山幸輝
壮士肌の黒幕的行動派 p118-134
雌伏の五年間 p133-134
西山幸輝は、四十五年(1970)十二月二十五日、
乃木神社で営まれた右翼有志による
三島・森田追悼会で、
「自分には、この事件について、なにもいう資格はない」
と、参会者に訴えた。
そして、それを機会に、
昭和維新連盟、全愛会議、旭進学園、日本及日本人社などの
役職から一切身を引く決心をした。
右翼運動をやめるというのではなく、
「もう一度、一兵卒にかえって、じっくり勉強したい」
ということらしい。
旭進学園は工業高校(電波技術)で、宮崎にあり、
毎週月曜日に「皇居遥拝」、
生徒手帳の第一ページには
「教育勅語」が刷り込まれているというように、
徹底した「日本精神」をつらぬいている。
西山幸輝の地味な仕事の一つに、
日本政治文化研究所(財団法人)がある。
同研究所は時局問題をテーマとした
一連のパンフレットを発行している。
すでに刊行されているものでは、
王育徳(台湾独立連盟中央委員)の「台湾は愁訴する」、
津久井龍雄・上条末夫(駒沢大講師)の対談「共産主義の虚妄」、
源田実の「アジア・日本防衛の原点」その他、
北方領土問題、教(育)、
(北方領土問題、教)育、
尖閣列島問題などをとりあげ、
それらは勉強会の資料に使われている。
その一方で西山は、
日本カーフェリーの付帯事業を請負する太平洋海事など、
いくつかの企業役員をつとめている。
短銃と日本刀に狙われるという騒乱の巷を歩いたのち、
三浦義一と児玉誉士夫氏の庇護のもとで、
政財界に地盤をきずいた
西山幸輝が今後どう変貌するかは、
予測しようもない。
西山には、終戦直後から約五年間、
断続的に消息の知れない部分がある。
「温室」育ちの無謬の「エリート」に魅力がないのは、
そのコースに起伏がなく、
したがってドラマもナゾもないからである。
西山幸輝に魅力があるとすれば、
それは、その黒幕的な行動に、
つねに「秘密」のニオイがつきまとい、
それがアウトロー的かつ
荒けずりな光芒を放つからだといえるかも知れない。
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