[日本橋蔦大野 るり子]
【あの女この女】大正9年
【あの女この女】大正9年
[日本橋蔦大野るり子] p38-41/131
文壇の鬼才谷崎潤一郎氏の妻君の令妹が、
るり子と名乘つて
日本橋蔦大野から出現した事は
一部の人の記憶に殘つてゐるであろう。
此のるり子が今年の五月の末から
お座敷に姿を見せなくなつた。
に就いて、
某文學士の許に嫁入りするのだと噂される。
又曰く
新橋松の家から現はれるやうになると、
其のいづれなるかを知らず、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/38
と雖も未だ用事をつけて居る事になつて居て、
廢業はして居ない。
されば、
こゝに變りものゝ藝妓の一人として記す。
豈不當なりとせんや。
るり子芳紀十八才、
大いに灰殻也矣。
『君學校は何處?早稻田?帝大?』と
るり子を招いたお座敷に於て
『今晩は』の次に尋問に及ばれたお客がある。
佐藤春夫が……
久米正雄が……
芥川龍之介が……と
文壇お歷々の小説家の名を
無雜作に並べてお客を煙に撒いたのは
彼の女るり子である。
其の煙に噎返つた御一人に藝術の神
永井荷風先生も居らせられる。
實に彼の女なるもの、
芝白金の香蘭女學校の出身なりと聞く。
向島秋葉に桔梗家の姐さんとして
小淸と名乘る藝妓あり、 ※別稿に記載
これが此のるり子の實姉、
こゝに兩親も共に住んで、
女學生が藝妓となる事も
蛇の道から蛇の道へ歩いて行く樣なもので、
前記の蔦大野から現はれたのであつた。
然し縁あつて潤一郎氏を
義兄に持つ樣になつてから
新思潮の連中には御懇意を願つて、
天晴れ人生を語り得べくも、
荷風氏を前に於て
『永井荷風と云ふ人を知つてるか』
との質問に對して
『知らない』
と答へた程の文學通であつた。
よく新橋の田中屋、
芳龍なぞに遠出して、
文學者連の席に侍つた
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/39
と云ふ。
従つて去年の十月お披露目して以來、
珍らしいもの好きの粹人に招かれて
滿更閑を見せなかつたらしい。
彼の女よく歌劇を唄ふ、
三味線は長唄を習つただけは彈けもしたが、
るり子を知つて招く程の客に、
彼の女より、
古來吾が大日本の藝妓に備はつた
これ等の藝を聽かうとする者は
無いと云つて差閊へあるまい。
而して、
此女と一座した他の藝妓は、
彼の女の文學談に足を痺らすのみか、
平の座敷以上の苦勞(?)する若い妓なぞは、
彼女から攻撃される。
つまり解り早いとこ、
水轉の非難である。
鼻の低い女が『獅子鼻』と
他人に嘲けられるは當然だとしても
決して心好いものではない。
こゝに於て若い妓等の或る者は泣いて
姐さんなる人に訴へ、
かくて子供の喧嘩に親が出る不始末を
蔦大野の内儀は二三度受けた。
兎に角るり子は灰殻な女である。
而して本人の公言するところによれば、
ヴアージンである。
かくて彼の女の生意氣の難は
棒引きせられねばなるまい。
話は改まるが、
るり子の家は前記の向島、
兄は向島の券番の勤めて、
も一人は雁鍋に板前をして居ると聞く。
上州の産。
質素な面も賢實な藝の熱心な
日本橋藝者の交つては、
場違ひの感なき能はずであらう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/40
噂の一つの如く
新橋へでも出れば、
前借も、
此所の五百圓より倍位ゐは出すべく、
お客種もお誂へが比較的多いから
よかろうと思ふと
さる通人の言だが、
三年の年期を僅か半年足らずで
用事をつけたまゝにして、
前借は三拾圓位ゐの
月賦拂ひにしてくれないかと、
さる人から申し込んで來たとやらだから、
大方他の噂の一つが實現されるかも知れない。
若しさうだとすると、
今度神樂坂へでも出たら
拜顔の榮を得ようと心組んでゐた
友人に氣の毒の樣な氣もすると云ふもの。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/41
大正九年六月廿八日印刷
大正九年七月十一日發行
定價 金六十五錢
郵税 金 六錢
編者 柳 春吉
伽藍洞
編輯兼發行者 加藤仁八
東京市神田區花房町三番地
印刷者 大森小象
東京市下谷區西黒門町二十番地
印刷所 博秀社
東京市下谷區西黒門町二十番地
發行所 共成會出版部
東京市神田區花房町三番地
電話 下谷 一四六六番
振替 東京三九〇六五番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/128
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
【あの女この女】大正9年
【あの女この女】大正9年
[日本橋蔦大野るり子] p38-41/131
文壇の鬼才谷崎潤一郎氏の妻君の令妹が、
るり子と名乘つて
日本橋蔦大野から出現した事は
一部の人の記憶に殘つてゐるであろう。
此のるり子が今年の五月の末から
お座敷に姿を見せなくなつた。
に就いて、
某文學士の許に嫁入りするのだと噂される。
又曰く
新橋松の家から現はれるやうになると、
其のいづれなるかを知らず、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/38
と雖も未だ用事をつけて居る事になつて居て、
廢業はして居ない。
されば、
こゝに變りものゝ藝妓の一人として記す。
豈不當なりとせんや。
るり子芳紀十八才、
大いに灰殻也矣。
『君學校は何處?早稻田?帝大?』と
るり子を招いたお座敷に於て
『今晩は』の次に尋問に及ばれたお客がある。
佐藤春夫が……
久米正雄が……
芥川龍之介が……と
文壇お歷々の小説家の名を
無雜作に並べてお客を煙に撒いたのは
彼の女るり子である。
其の煙に噎返つた御一人に藝術の神
永井荷風先生も居らせられる。
實に彼の女なるもの、
芝白金の香蘭女學校の出身なりと聞く。
向島秋葉に桔梗家の姐さんとして
小淸と名乘る藝妓あり、 ※別稿に記載
これが此のるり子の實姉、
こゝに兩親も共に住んで、
女學生が藝妓となる事も
蛇の道から蛇の道へ歩いて行く樣なもので、
前記の蔦大野から現はれたのであつた。
然し縁あつて潤一郎氏を
義兄に持つ樣になつてから
新思潮の連中には御懇意を願つて、
天晴れ人生を語り得べくも、
荷風氏を前に於て
『永井荷風と云ふ人を知つてるか』
との質問に對して
『知らない』
と答へた程の文學通であつた。
よく新橋の田中屋、
芳龍なぞに遠出して、
文學者連の席に侍つた
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/39
と云ふ。
従つて去年の十月お披露目して以來、
珍らしいもの好きの粹人に招かれて
滿更閑を見せなかつたらしい。
彼の女よく歌劇を唄ふ、
三味線は長唄を習つただけは彈けもしたが、
るり子を知つて招く程の客に、
彼の女より、
古來吾が大日本の藝妓に備はつた
これ等の藝を聽かうとする者は
無いと云つて差閊へあるまい。
而して、
此女と一座した他の藝妓は、
彼の女の文學談に足を痺らすのみか、
平の座敷以上の苦勞(?)する若い妓なぞは、
彼女から攻撃される。
つまり解り早いとこ、
水轉の非難である。
鼻の低い女が『獅子鼻』と
他人に嘲けられるは當然だとしても
決して心好いものではない。
こゝに於て若い妓等の或る者は泣いて
姐さんなる人に訴へ、
かくて子供の喧嘩に親が出る不始末を
蔦大野の内儀は二三度受けた。
兎に角るり子は灰殻な女である。
而して本人の公言するところによれば、
ヴアージンである。
かくて彼の女の生意氣の難は
棒引きせられねばなるまい。
話は改まるが、
るり子の家は前記の向島、
兄は向島の券番の勤めて、
も一人は雁鍋に板前をして居ると聞く。
上州の産。
質素な面も賢實な藝の熱心な
日本橋藝者の交つては、
場違ひの感なき能はずであらう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/40
噂の一つの如く
新橋へでも出れば、
前借も、
此所の五百圓より倍位ゐは出すべく、
お客種もお誂へが比較的多いから
よかろうと思ふと
さる通人の言だが、
三年の年期を僅か半年足らずで
用事をつけたまゝにして、
前借は三拾圓位ゐの
月賦拂ひにしてくれないかと、
さる人から申し込んで來たとやらだから、
大方他の噂の一つが實現されるかも知れない。
若しさうだとすると、
今度神樂坂へでも出たら
拜顔の榮を得ようと心組んでゐた
友人に氣の毒の樣な氣もすると云ふもの。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/41
大正九年六月廿八日印刷
大正九年七月十一日發行
定價 金六十五錢
郵税 金 六錢
編者 柳 春吉
伽藍洞
編輯兼發行者 加藤仁八
東京市神田區花房町三番地
印刷者 大森小象
東京市下谷區西黒門町二十番地
印刷所 博秀社
東京市下谷區西黒門町二十番地
發行所 共成會出版部
東京市神田區花房町三番地
電話 下谷 一四六六番
振替 東京三九〇六五番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/128
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』