[竹岡宇三郎:接骨專門家]
【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】大正2年
【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】
『評判記』 p109/155
△竹岡宇三郎 p110/155
君は接骨專門家として聞ゆ
埼玉縣の人
飯盛四郎氏の二男にして
慶應元年一月二十七日を以て ※1865年2月22日
埼玉縣北葛飾郡杉戸町に生れ後
出でて
竹岡姓を襲ぐ、
年十三
東上して
磯又右衛門氏の門に入り
柔道を脩むること多年
技蘊奥を究む、
師没するの後は
その遺業をうけて
門下の敎導に從ふもの三年にして
之を他に委ね
明治二十四年(1891)
獨立して現地に開業せり
君柔道に於て妙を極むると共に
接骨術に獨特の技能を有し
開業以來一般患者に施術して
功果神の如く名聲忽ち揚り、
治を乞ふもの
日夕踵を接するに至る、
特に力士界に於ける該患者は
一に君の治療に待つ狀況にして
難治の疾患を全癒せしめしもの
殆んど其數を知らずといふ、
曩に消防義會の設置せらるるや
其治療部委員に推擧せられ
接骨術家として名聲大に上る、
夫人をふゆ子といふ
從順の聞高し
現住所は日本橋區蛎売町二丁目四番地
電話 浪花四四七一番なり。
〔顔写真〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/110
▲武術敎授 p124/155
日水館長 伊東正爲
神刀流武術 教授
向井流水術 教授
第一 久松町三十番地
第二 下谷區竹町十二番地
揚武館 竹岡宇三郎
蠣殻町二の四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/124
大正貮年八月十二日印刷
大正貮年八月十五日發行
定價 金貮圓也
編輯兼發行人 宇井善八
東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
印刷人 吉野貞治
東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所 精美堂
東京市小石川區久堅町一〇八番地
發行所 日本橋協會
東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/140
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】大正2年
【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】
『評判記』 p109/155
△竹岡宇三郎 p110/155
君は接骨專門家として聞ゆ
埼玉縣の人
飯盛四郎氏の二男にして
慶應元年一月二十七日を以て ※1865年2月22日
埼玉縣北葛飾郡杉戸町に生れ後
出でて
竹岡姓を襲ぐ、
年十三
東上して
磯又右衛門氏の門に入り
柔道を脩むること多年
技蘊奥を究む、
師没するの後は
その遺業をうけて
門下の敎導に從ふもの三年にして
之を他に委ね
明治二十四年(1891)
獨立して現地に開業せり
君柔道に於て妙を極むると共に
接骨術に獨特の技能を有し
開業以來一般患者に施術して
功果神の如く名聲忽ち揚り、
治を乞ふもの
日夕踵を接するに至る、
特に力士界に於ける該患者は
一に君の治療に待つ狀況にして
難治の疾患を全癒せしめしもの
殆んど其數を知らずといふ、
曩に消防義會の設置せらるるや
其治療部委員に推擧せられ
接骨術家として名聲大に上る、
夫人をふゆ子といふ
從順の聞高し
現住所は日本橋區蛎売町二丁目四番地
電話 浪花四四七一番なり。
〔顔写真〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/110
▲武術敎授 p124/155
日水館長 伊東正爲
神刀流武術 教授
向井流水術 教授
第一 久松町三十番地
第二 下谷區竹町十二番地
揚武館 竹岡宇三郎
蠣殻町二の四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/124
大正貮年八月十二日印刷
大正貮年八月十五日發行
定價 金貮圓也
編輯兼發行人 宇井善八
東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
印刷人 吉野貞治
東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所 精美堂
東京市小石川區久堅町一〇八番地
發行所 日本橋協會
東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/140
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』