[在校時代の思出]
《準第一回 卒業生 畑中健二》
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

畑中健二
入学  大正15年4月
卒業  昭和 5年3月 四年修了で卒業
卒業式 昭和 6年3月 第一回卒業式
    畑中健二(第一回卒業生ト同級、
         第四學年ヨリ上級學校入學者)

【京都府立園部中学校十年史】

[在校時代の思出] p94/102
 準第一回 卒業生 畑中健二

淸く高らかに呱々の聲を擧げてより
母校も最早十歳を迎へんとし、
今なつかしき母校よりの御知せに與り
東都の一隅に坐して
遥に御祝ひ致す次第であります。

母校 園中!
確に云樣のない懐しの感激に滿たして呉れます。
それ程迄に私の思出を貫くものは
なつかしの感激であり、
それと共に第一回生として少しも母校に徹し得ず
出てしまつた申し譯ないと云ふ感じで一ぱいであります。

只今より在校間
特に入校當初の一、二の思出を述べたいと思ひます。

愈々入學を許されて第一回生として
あの古き歷史の香と光を放つ校門、
それにいゝ對象を以て
京都府立園部中學校と筆太々に書かれた
木の香も新しい門札、
其の下をくぐつた時の感激は
一生忘れることの出來ないものであります。

爾來在校間あの校門をくぐる毎に
自己の幸福と誇と責任を感じてまゐりました。

入校當初
先生と云つても校長先生、
村上、江村、和田兩先生、
私等百餘名は此の四人の先生を中心として
雄々しく希望に滿ちてスタートしました。

私等級友總て母校の立派な礎石たるべく
心中深く期して居たのであります。

しかし餘りにも惠まれた溫い淸い環境に育つた
私等はいつしか心の弛を生じ其の度に先生方より
「お前達は第一回生ではないか、
 校風の樹立、
 校風の發楊總て
 お前達の肩に掛つてゐるのではないか」
と注意を受けて居りました。

第一回生と云ふ聲は私等の最も恐しいものであり、
又一面此の大きな責任がよく果せ得るかと云ふ
大きな不安がありました。

當時の校舎も只今に比して誠に粗末でありました。
幾度か萱島校長先生から
「松陰先生の松下村塾」
を引用して注意を受けました。

しかし校舎設備の不備をかこつ考は少しもなく
唯他の古い中學への對抗意識が燃えて居りました。

「何!負けるものか、今に見ろ!」
と他の古い中學の生徒を見る度に
心の中で叫んで居りました。

誠に偏狭な考へではありますが
事實私の觀念を支配した
大きな力の一つでありました。

先生方も最初は恐ろしい樣な
偉い樣な感が先でありましたが
いつしか眞劍な先生方の姿に
無言の中に引ずられて我々の先生、
我々の保護者と云ふ
なんとも云へないなつかしみを覺えて居りました。

今から考へれば先生方の苦勞は
どんなであつたろうと思はて
相濟まない感が致します。

書き來れば次ぎ次ぎなつかしき思出に包まれ
何時しか身を中學時代に歸して呉れます。

今母校を去つて六年、
今更ながら溫き母校に
中學時代を送り得た幸福を感ずると共に
何等爲すことなく
第一回生としての名を恥づかしめた事が
殘念でたまりません。

校風の樹立、
園中精神の發楊と心の中では期しながらも
何一つ力を盡し得なかつた事を
誠に恥づかしく存じてゐます、
しかし今更甲斐なき事、
今ひたすらに眞の日本人、
眞の園中出身者たるべく邁進して居ります。

此處に母校の創立十周年を心から御祝ひ申し
母校の益々發展あらん事を祈ると共に
恩師各位並に諸兄の御健康
御發展を切に御祈り致します。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/94

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/99

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年10月28日 04:10 ◆京丹波町 [畑中健二]『自決』
[畑中健二]①「分解結合の虚偽」
『自決:森近衛師団長斬殺事件』飯尾憲士
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇