「満洲に関する用兵的観察 第12巻 昭和27年11月」②

 第九章 匪賊及び住民 p1/49
  第一節 昭和十四年頃の匪勢概観
   第一款 匪賊と環境

    其の一 匪賊の種類 p2/49
     (一)土 匪
     (二)思想匪

    其の二 匪賊と外部との関係 p4/49
     (一)ソ聯と匪賊
        ―略―
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〔画像〕3500-04

ソ聯に糸をひく匪賊には p5/49
鮮人を匪首とするものが多く
その尤もなるものを
金日成(当時二十九才)とし
朴得範、崔賢、全光などの幹部が居る。
これら匪首の年齢を一瞥すると、
どれもこれも三十才以下の若者であることは
特に注意する必要がある。

就中 金日成(写真㐧一参照)は ※別稿に記載
在満朝鮮人間に多大の人気があり、
彼を目して朝鮮の英雄と賞賛し、
物心両面から密かに援助する者が多い
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〔画像〕3500-05

との噂が多かつた。 p6/49
金日成がソ聯邦と密接な関係がありと断定した理由は
彼が関東軍の討伐に会ひ、
滿洲内に潜むことができなくなると
必ず暉春北方地区からソ領に逃走し
討伐部隊が引き揚げると再び入満した
歷然たる証拠があつたからである。

     (二)重慶政権と匪賊
在満匪賊が重慶政権と如何なる関係にあつたかに就ては
金日成とソ聯のやうな確たる証拠はない。
(支那事変によつて中共が重慶と合体したゝめ、
 重慶政権の中には当然中国共産黨を含むものと
 承知せられたい。)

ただ彼ら匪賊が自ら中国共産黨と称へ、
中国政府の指令をうけて行動すると宣言し、
失地の回復と反満抗日を標謗して居たなどの点から
彼らと重慶政権とは
密接不離の関係にあつたものと推測するのである。

しかし彼らは
金日成がソ聯から武器や弾薬の供給を受けて居たやうなこ
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〔画像〕3500-06

とはなく、 p7/49
更にいかに苦しくなつても
滿洲から逃れる術もない。
ただ単に精神的の連繋があつたと想像する訳である。

これら匪賊の頭目を列挙すると
揚靖宇、陳翰章、曹亞範、金光などで
金光を除く外は漢人であることも、
ソ聯に操縦せられる匪首が朝鮮人であつたのと違う所であり、
また、これらの匪首が全部殺害せられるか
進退窮つて投降したことも
前者と違う点であらう。
 ―略―
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〔画像〕3500-07
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4 レファレンスコード C13010013500
件名 第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(1)
【 画像数 】49【 種別 】図
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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 (二)討伐に任ずる部隊の心掛 p1/36
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5 レファレンスコード C13010013600
件名 第12巻・第4篇/第9章 匪賊及住民(2)
【 画像数 】36
昭和27年11月 復員局資料整理課 陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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