《佐田家年君》
[株式会社 台湾銀行 理事]
【大正人名辞典】大正6年

【大正人名辞典】大正6年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946063/1127

《佐田家年君》 p1107/1128
出生地 宮崎県
現住所 台湾、台北、城南街、三
電 話 七九四
生年月 明治三年二月十七日  ※明治3年2月17日(1870年3月18日)
[株式会社 台湾銀行 理事]
君は宮崎県宮崎町の人にして
明治三年二月十七日を以て
同町上別府に生る、
小中学校を卒業の後
東京帝国大学に入り、
英法科を専攻し
二十七年を以て卒業するや          ※明治27年(1894)
其七月を以て大蔵省屬官を拝命し、
爾来六星霜、
恪勤精励を以て長上官の推稱する所と為る、
三十二年八月台湾銀行に入りて助役補となり、 ※明治32年(1899)
次で秘書課長と為り
更に栄進して
三十九年七月神戸支店長に転じ、       ※明治39年(1906)
爰に於て君は?の手腕を遺憾なく発揮し
常に優良の成績を挙げ、
四十三年九月遂に理事と為り         ※明治43年(1910)
今日に迨る、
台湾銀行は一千萬圓を限度として
政府発行の紙幣証券、
兌換銀行券
又は其他の確実なる証券若は
商業手形を保証として、
銀行券を発行するの特権を有する特種銀行なることは
敢て紊説するの要なかるべきも、
今や台湾開拓の為め
重要物産に投資せる金額二億に垂んとすと、
以て同行の営業振を窺知し得べからずや、
蓋斯の如き活躍的営業振を現出するもの偏へに
当事者の云為宜しきを得たるの結果に非ずして何ぞ、
君資性活発にして而も甚だ行務に周密なり、
重きを同行に置かるゝもの洵に偶然に非ざる也。
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