【須知定信】
山内孫十郎定家の子・
須知出羽守元秀の養子・
山内氏は元、丹波国紅村城主
山内孫十郎定家の子・
須知出羽守元秀の養子・
山内氏は元、丹波国紅村城主
【須知定信】
(主水、出羽、号・梅雪)。
山内孫十郎定家の子。
須知出羽守元秀の養子となり須知を称すという。
須知氏は遠江国周知郡に住した周知景基が源為義に従い
丹波国に移って須知氏の初代となり、
九代・秀基が足利尊氏挙兵時に活躍して
同国市森の須知城主となったものといわれる。
また、山内氏は元、丹波国紅村城主で、山内首藤氏の支流という。
天正八年正月十七日、明智光秀の丹波攻略により、
市森城は落城し須知氏は没落。
定信は毛利高政に仕えた。
高政に従い朝鮮両役に従軍。
慶長三年、高虎が毛利高政に懇願して貰い受けた。
以後、高虎の家臣となり、翌年、二千石を給される。
同五年、関ヶ原陣に従う。
同六年、高虎は家康より福島正則監視を命じられた為、
定信を伊予国甘崎城々代とし、
来島家の旧臣十余人を隊士として預けた。
これが後、久留島衆と呼ばれる様になる。
同十九年の大坂冬陣には旗本士大将、
翌元和元年の夏陣にも旗本士大将を務めた。
元和年中に出羽と改めた。
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