《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年

【創立五十年】昭和7年
右上・明治二十八年本科乙組卒業者
右下・明治二十九年本科卒業者(38名)  ※別稿に記載
左上・明治二十九年補習科卒業者(22名) ※別稿に記載
左下・明治三十年本科卒業者
p17【創立五十年】昭和7年-100
〔画像〕p17【創立五十年】昭和7年

 第四章 女子師範學校附屬高等女學校 p56/154
一九 女子高等師範學校附屬
明治二十三年三月二十四日勅號第四十二號を以て
高等師範學校女子部を分離して、
女子高等師範學校となす旨公布せられ、
翌二十五日文部大臣は東京高等女學校及
高等師範學校附屬幼稚園を
女子高等師範學校の附屬とし、
別に同校に附屬小學校を置くべき旨訓令せり。
其の文左の如し。
   女子高等師範學校
 東京高等女學校ヲ其校附屬高等女學校トシ、
 高等師範學校附屬幼稚園ヲ其校附屬幼稚園トシ、
 又其校ニ於テハ附屬小學ヲ置クベシ。
 但高等師範學校附屬小學校小學科女生徒ヲ其校ニ引移サシメ候條、
 其校附屬小學校ニ受繼ギ授業スベシ。
茲に於て、一旦分離したりし附屬高等女學校は、
再び故に復し、以て今日に至れるなり。

二三 入學資格及修業年限の變更 p57/154
從來當校の入學資格は高等小學校二箇年の課程を終りたる者、
若くは之に相當する學力を有する者にして、
修業年限五箇年なりしが、 ※《小野すみ》(舊規則)
明治二十六年三月之を改め、※《小野すみ》(新規則)
入學資格を四箇年の尋常小學卒業者、
若くは之と同等以上の敎育を受けたる者とし、
入學者の年齢を二年低下し、
修業年限を一箇年延長して六箇年となせり。
然るに三十二年三月再び之を改めて舊に復し、
爾來、變更することなく今日に及べり。

二四 專修科及補習科設置
明治二十六年三月專修科を設置す。
明治十八年四月專修科を設けたるが、
其の時の專修科は、
本科の學科課程中數科目を選擇專修せしめたるものなりしが、
今回設けたる專修科は、修業年限を二箇年とし、
高等女學校卒業者、
若くは之と同等以上の敎育ある者を入學せしめ、
稍々專門的知識を與へむとせるものなり。
然るに二十八年一月之を補習科と改稱す。
專修科は二箇年に至らずして改稱されたるを以て、
專修科卒業生なるものなし。
專修科及補習科の學科課程は第六章に掲ぐ。

 第十一章 職員 p112-120/154
八七 校長 p112/154
中村 正直 自明治二十三年三月 至同二十四年六月 女子師範學校長
細川潤次郎 自明治二十四年八月 至同二十七年三月 同
秋月新太郎 自明治二十七年三月 至同三十年十一月 同
※《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治24年4月入学 明治29年3月卒業

 第十二章 卒業生及生徒 p120/154
卒 業 年 度  本 科 補習科   計
明治二十九年三月  三八  二二  六〇
昭和七年十一月廿五日印刷
昭和七年十一月廿九日發行
(非賣品)
    東京女子高等師範學校
編輯兼   附屬高等女學校内
發行者 那須良利
印刷者 株式會社 秀英舎
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
印刷者 根本力三
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發行所 東京女子高等師範學校
    附屬高等女學校
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小野梓 墨 安[小野梓傳]
左 安 右 墨
〔画像〕小野梓 墨 安[小野梓傳]
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年
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