《谷村文庫の寄贈者:谷村一太郎氏》(笹本光代)
京都大学付属図書館報[静脩]1983年10月

京都大学付属図書館報
[静 脩]1983年10月 Vol. 20, No.1

     ―資料紹介— ②   p5-6
 谷 村 文 庫

 本文庫の寄贈者谷村一太郎氏は、
藤本ビルブローカー銀行取締役会長などを歴任した実業家であり、
また、明治・大正・昭和の三代を通じて蒐書家として有名であった。

 同氏は明治4年(1871)に富山県福光町の素封家に生れ,
父友吉氏は地方有数の名望家で代々祖谷屋と云い,
絹布の商いと殖産工業に力を尽したが,
遺憾ながら家業は衰退に向った。
一太郎氏は十三才にして家を相続し,発奮努力,
東京に出て慶応義塾大学に入学したが,
のちに早稲田大学に転じ同校を卒業した。
帰郷してのち中越鉄道支配人となり,
泉州紡績株式会社支配人を経て,
明治39年藤本ビルブローカー証券会社に入社した。
そのかたわら湊鉄道株式会社々長,
日本活動写真株式会社取締役,
帝国人造絹糸監査役などを兼ね,
所謂帝人騒動を巧みに乗り切り危機を脱した。

 昭和7年健康を害したが,静養すること1年,漸く回復した。
以後諸会社の重職を悉く辞して晴耕雨読を友とし,
昭和11年(1936)3月13日
京都中京区堺町通竹屋町の自宅で66才の多彩な生涯を閉じられた。

 氏は実業界にあっては鋭才を駆使して華々しく活躍したが,
その反面書窓の閑寂を愛し,
秋村と号し(明治新聞界の先覚者,藤田茂吉氏が名付けた),
また別に石山(滋賀県石山寺の風景を愛したことから),
そのほか故郷の名山の名から
二上太郎,東嶽隠士,匡王山人などのペンネームを持っていた。
また,学究としての一面もあり,
京都大学の教授達とも終始往来があって,
特に新村出博士とは度々書物探訪の旅行をした。
 ―略―
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 ―略―
 本文庫が附属図書館に寄贈されるようになった
経緯についてふれておく。
一太郎氏の遺子に四男あり,
何れも翁の性格気風を受け継ぎ,各界に名を成していたが,
氏の歿後兄弟相寄り蒐集された書物を将来永遠に保蔵し,
その整理の上は死蔵せず,
広く学者の為に公開することに合議一決し,
長男順蔵氏の夫人の父君である
元館長,新村出博士の進言を容れて
昭和17年,
愛蔵書9200余冊全部を本学附属図書館に寄贈されたのであった。

 なお,本文庫の各冊毎に一太郎氏の雅号,秋村に因み
「秋邨遺愛」の朱印を捺印して
故人の遺徳と芳志を永久に記念している。
又この文庫に対する利用が多く,
文庫の総目録の刊行が久しく期待されながら
徒らに時を過していたが,
順蔵氏及び次男敬介氏より所要経費につき御協力を得ることになり,
本館の職員が目録編纂し,
昭和38年『京都大学谷村文庫目録』(235P.書名索引付)を
刊行することができた。

 近年和漢書目録掛全員で,
文庫中の貴重書を詳細整理する機会を得,
目のあたりに宋版,古活字版等を展げて比較する事が出来たのは,
新刊書ばかりで古書に接する事の少なくなった現在,
多くの善本を蔵する本館に仕事を持つ者の喜びであり,
一同谷村氏の遺徳への感謝の念をあらたにしたことであった。
 (附属図書館 笹本光代)
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京都大学附属図書館報「静脩」VoL20,No1(通巻75号)
1983年10月1日発行
・編集:静脩編集委員会(責任者附属図書館事務部長)
発行=京都大学附属図書館・京都市左京区吉田本町
・電大代751-2111(内線)2611~264
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