[船中で全く思いがけなく冨山房の松村一造氏の出張帰りに]昭和16年10月21日

[北京物語]
 ある手記をめぐる過去と現在の北京探索ノート
1-2 二度目の渡航(海路)
 ―略―
昭和16年頃は、成立した満州国もようやく体裁を整え、
日満間の交通は輻輳をきたしていた時代でしたから、
出国手続きが早く完全に出来ても、
切符を手に入れることがなかなか大変でした。
 神戸港出帆は10月21日正午ですが、
 ―略―
 アルゼンチナ丸で同船室の人は、
私より少し年配のやはり子供連れの夫婦でした。
あまり詳しくは聞いていませんが、
私と同じように家族呼び寄せで、満州へ渡る方でした。
翌朝は下関入港、同港で半日停泊した後、やはり正午出帆、
以後船中2泊3日で、24日午後大連港に入港しました。

船中で全く思いがけなく
冨山房の松村一造氏の出張帰りに
ばったり会いました。
彼とは小川琢治先生や石橋五郎先生の、
中学地理の教科書を通じて5年来の仕事仲間で、
飲み友達でもありました。
彼は冨山房が大連に設けた支店のいい地位にいたので一等船客で、
こちらは二等船客ですが、
一等のサロンで2日間ゆうゆうと過ごせたのは
なかなかいいものでした。

 下関出航以来黄海は穏やかで「煙も見えず雲もなく」と
黄海海戦の唄の前半そのままのもので、
当時1歳半の長男とデッキを走り回って遊んだりして、
実に長閑なものでした。
船と聞いただけで酔う妻も元気で、
普通に食事を取っていたくらいです。
大連へは昼前に尽きましたが、なぜか下船に手間取って、
2時ごろ埠頭駅から馬車で宿に向かいました。
大連では予定の宿「大和ホテル」に2泊し、
松村氏とも一晩飲み、天津への船便を待ちました。
ここまでは船も大きく天気も上々で、
乗り物に弱い妻も大元気でした。
北京物語-松村
 ―略―
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
冨山房社員(昭和十一年三月末現在)
冨山房物故社員及び社友
[冨山房五十年]昭和11年
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