緒方正淸氏と小野安子【青眼白眼】
《吉弘茂義:吉弘白眼》明治39年
《吉弘茂義:吉弘白眼》明治39年
【青眼白眼】吉弘白眼 明治39年1月1日発行
緒方正淸氏と小野安子 p138-140/164
緒方正淸氏と小野安子 p138-140/164
光線の透りよき診察室、
背を南に、豊頬胖體、
白哲にして光澤ある顔面に、
漆黑にして極めて麗はしき鬚髯を蓄へつゝ、
百以上の來診患者を左も無雜作氣に一々按診するは
ドクトル緒方正淸君也、
君は身体の強健なると共に
頗る勤勉勵精なる人にして、
如何なる劇忙にも打克つて、
殆ど無休息の勞苦をも辭せざる勇氣を有せり。
君は此點に於て甚しく普通人に超えたり。
左れど予は、
君を推重するに於て如上の一事を其中に數へざる可し、
予の君を推重する所以は君が學者たるに非ず
病院長たるが故に非ず、
又た名門の人、
世才の人たるにあらずして、
實に君が「腕」の人たるに依つて然る也、
「腕」とは何ぞや、
「開腹術に於ける君の伎倆是れ也、
開腹術は必しも醫學上甚だ困難なるものに非ざるも、
而かも君に依つてなされたらむには、
百得あつて一失なく、
恰かも文惠君の爲めに牛を解く
包丁氏の如きものあるを見る、
所謂、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、
■然嚮然、奏刀■然、莫不中音、合於桑林之舞、
乃中經骨之會」者あり、
文惠君たらざるも、
誰か「禧、善哉伎蓋至此乎」の嘆なからむ耶、
於是予は、
開腹術に於ける君の伎倆は實に日本第一なりと
斷言するに躊躇せざるもの也。
予は君に阿(おもね)るを好まず、
予は君が品藻、
人格の上に於て緒方収二郎君に如かざるを知る、
而かも尚ほ銈次郎君の上にあり、
君の品藻、人格は銈次郎君の上にあつて
而して逴く収二郎君に及ばざるもの、
収二郎君は君子人也、
政治家的野心もなく事業家的商賣氣もなき
純然たる學者肌の君子人にして、
品格、人望の點に於ては殆んど匹儔を見ず、
緒方家は實に収二郎君あるに依つて、
其名門たるを辱めずと云(いゝ)つべきなり。
君は成功に近きたる人也、
君の成功は名門「緒方」の名もあるべし、
其のドクトルの看板にもあるべし
又た洋行、駄法螺若くは圓轉滑脱、
頗る辭令に巧みなる君の社交術にもあるべしと雖も、
ソは蓋し些■の要素にして
君の成功は君の「腕」にある也、
君は腕に依つて成功したる人也、
予は君に阿(おもね)る者にあらざるも、
品藻、人格の外にあつて、
遂に君の「腕」を閑却する能はず、
予は唯だ君の「腕」を知るに依
つて推重するもの也、
君は「腕」の人也、
君の「腕」は殆んど天分也、
君は學者たるべく餘りに利口に、
醫家たるべく餘りに野心あり、
君にして若(もし)「腕」の人たるなからしめば、
君の君たる所以、
それ何れにか存せむ、
固より君が多少の學者たるは、予よく是を知る、
ドクトルタル、亦よく是を知る、
されど、
ヨリ以上に於て君が「腕」の人たるを認めたり、
君に欽ず可からざるものは之れあらむ、
而かも學ぶべきは君の「腕」也、
君も亦た當世の人物なるかな。
予は餘に君を語るに過ぎたり、
予は尚ほ君の診察室に、
君と相對して事を見つゝある、
粗服を着けたる看護婦らしき妙齡の女子、
小野安子の半面を記述せざる可らず、
安子は土佐の人、
昨年後期の醫術開業試驗に優等を以て及第したる女醫也、 ※明治36年11月
予は常に安子を見るに當りて
何となく畏敬の念を萌(きざ)すを禁め得ざりし也、
何となれば、
彼は予が同國の先輩たる梓先生小野君の孤兒なるに依つて。
小野梓先生の名は、
日本の國民として尚ほその記臆に新らしきものあるべし、
先生は早稻田專門學校の創立者として、
明治の學者として、
識見家として、
雄辯家として、
殆ど第一期文明時代を代表しつゝありし人也、
其聲望は伯大隈と伯仲し、
眞の國士の面影は、
先生に依つて認められたる位ゐ也、
先生をして今日にあらしむ、
好箇の文部大臣也、
否適當の外務大臣也、
先生は其識見、學問、人物に於て
遙に犬養、尾崎君の上にあり
大隈伯が深く先生に信頼する處ありたる、
亦た所以なきに非ず、
思ふに先生にして今日あらしめば
大臣の椅子は幾度か其の選ぶ所に依つて
先生を迎へたりしよ、
噫(あゝ)、今や卽ち亡し、
予は伯大隈のために惜むに非ずして、
其の文部省廢止の説ある今日、
其の外交の最も紛糾を極むる今日に於て、
識見彼れが如く、
品格彼れが如き、
一代の國士を亡ひたるに依つて、
惜み且つ悲むの念
最も切なるもの也、
安子は斯の如き大人物を其父として
生れたるの光榮を有する人也、
而して流落、
來つて緒方君の門に遊び
予の所謂緒方君の「腕」を學ばむとして
刻苦しつゝあり、
意氣酷だ愛すべがらず耶。
聞くが如くむば、
大隈家は深き同情を安子に表し、
また叔父小野義眞君は安子をして
緒方君に依つて名をなさしめむと云ふ、
左のあるべき事也、
安子は予の問ふに答て曰く
別して伯夫人はお優しい方で、
種々御親切にして下さいます、
東京に行けば私も必らずお訪ねいたします、
此程はまた、
早稻田專門學校を大學の制度にしたと云ふので、
紀念のためとて貴き品を頂戴しました、と
是れあるかな、
伯爵夫人は小野先生の遺子を閑却せざるに於て、
その光あるを証據立てぬ。
安子齡二十一、
其前途極めて有望也、
予ひそかに彼れの人物を見るに
温籍の中に強健の意志を偶し
肥滿したる身体、
凹凸ある輪畫の、
寧ろ美ならざる容貌にも
一種の天才は穗の見えて、
六分の多血質と四分の神經質とを加味し、
流石に名士の遺子たるの面影を存しつ、
その緊りある口元に無上の愛嬌を湛へ、
其光りある眼に淸高なる情味を宿して、
親み易きところにも狎れ難き威嚴を備へたり、
予は■的の男也
予は男子のハイカラーを惡むと共に
女子の生意氣を憎むに於て假さゞる者也、
予は名士の遺子に對して
禮に非ざるを知りつゝも、
予は先づ彼に生意氣の分子の有無を認めむとして甚しく苦痛しぬ、
而して遂に見出すこと能はざりき、
彼は滔々たる學才ある女子のソレの如く、
生意氣なる處を有せざる也、
於是予は梓先生に私淑するの心を以て
君の敬重せむと欲したりし也。
予は安子に於て世才なきを認めぬ、
世才は或點に於て小成すべし、
而かも大成を期す可らず、
予は世才なきに依つて囑望するところ極めて多し、
世才ある人何ぞ限らむ、
緒方君の門
福井、萩原二女醫の如き ※下記:福井繁子
寧ろ世才に依つて世渡りに巧みなる人也、
予は安子をして世才の人たらしむるを欲せざるもの、
予は今少しく其の大ならむを希望するもの也、
彼れは讀書に於て最も嗜好を充されたり、
緒方君の「腕」を學ぶと共に
有らゆる醫書を研究するのみならず、
如今專ら佛蘭西學を修業せり、
また書を巧みにして其筆蹟を見る、
流麗雅健予をして舌を巻かしめぬ、
若夫れ其辯舌に至つては頗る快辣にして
人を壓するものあり、
予一日緒方君の講堂に、
彼が學生に書を講ずるを聞く、
詞藻豊富にして言議甚だ明徹、
語尾に最も力あり、
端嚴なる姿勢、
快辣なる辯舌は、
その熱心と相俟つて人をして感動せしむるものあり、
予は彼れの講義を聞くに當て
髣髴として梓先生の浮動するが如き心地し、
愴然として一種の感に打たれぬ、
予は思はず暗涙に咽びたり
予は面を俺ふてソの室を退きぬ。
彼は鷹揚にして拘々たる處なし、
大器たるに庶幾し、
予は友人として彼を有するを光榮とするもの也
予は彼れを語つて未だ悉さゞるを知る、
而かも唯だ彼れの一面を觀察するに於て、
甚しく誤謬に陥(おちゐ)らざりしを自信する者也。
明治三十八年十二月二十九日印刷
明治三十九年 一月 一日發行
(正價金壹圓)
著 者 吉弘白眼
發行兼 中野龜吉
印刷者 大阪市東區備後町四丁目百五十九番地
印刷所 大阪通信社
大阪市北區堂島濵一丁目百九十番地
發兌元 吉岡寶文舘
【妊婦の薔薇園】明治31年2月
明治三十一年一月卅一日印刷
明治三十一年二月 三 日發行
著作兼 福井繁子
發行者 大阪市東區今橋三丁目三番邸寄留
印刷者 松本貞三
大阪市東區本町一丁目三十番邸
大阪國文社社員
發行所 緒方病院助産婦學會
大阪市東區今橋三丁目三番邸
賣捌所 丸善株式會社書店
東京市日本橋區通三丁目十四番邸
同 仝 出張所
大阪市東區心齋橋筋北久寶寺町四丁目
印刷所 株式會社 大阪國文社
大阪市東區本町一丁目三十番邸
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月01日 11:29 ◆小野安子
[小野安(安子)] 《女医への道》-01
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