《吉弘茂義:吉弘白眼》【昭和新聞名家録. 昭和5年】
【昭和新聞名家録. 昭和5年】
《吉弘茂義》 p92/287
關西日報社社長、大阪日日新聞社社長
關西言論界の怪物と稱された大阪日報に
社長として夙に盛名を馳せた。
同紙廢刊の明治四十五年七月帝國新聞を讓受け、
八月一日大阪日日新聞と改題して、
大革新を施し紙面を改善し内容を充實して以來
急速の發展を遂げ
同紙の言論は關西新聞界の權威とせられ
獨特にして潑溂の氣溢るゝ社會記事と共に刮目さるゝに至つた。
又大正三年十一月
君は突如として曩の大阪日報に代るべき關西日報を發刊し
新進氣鋭を以て一生面を開拓鬱勃たる覇氣紙面に横溢して
痛快なる言論と放膽なる報道は
當年の大阪日報に髣髴たる意氣を示した。
君は社長として兩社の經營に天禀の才を揮つたが、
頃來健康勝れざるやに傳へられ、
業界に惜まれてゐる。
(現在)大阪市東區北濱四ノ七 其社
昭和五年十二月 二十 日印刷
昭和五年十二月二十五日發行
定價金拾圓
編纂兼 東京市京橋區銀座西三ノ三
發行者 永代靜雄
印刷者 東京市牛込區矢來町六二
上田榮吉
印刷所 東京市牛込區矢來町六二
上田泰文堂
發行所 東京市京橋區銀座西三ノ三
新聞研究所
電話 京橋 二二二五番
振替 東京五四五七八番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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