M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月
緒方洪庵記念財団所蔵
《助産之栞》 第百三十九號
明治四十年十二月十五日發行
緒方病院助産婦學會
《助産之栞》 第百三十七號の奥付 p1/4
明治四十年十月十三日印刷 同四十年十月十五發行
發行所 大阪市東區今橋三丁目番外三番邸
緒方助産婦學會
編輯人 大阪市東區北濱二丁目十四番屋敷
村上 琴
編輯兼 大阪市東區德井町二丁目三十五番地
發行人 橘 薫
印刷人 大阪市南區鰻谷仲之町五十三番邸
井上仲藏
印刷所 大阪市南區中橋南詰東へ入(電話東八百十二番)
井上活版製造所
發賣所 大阪市東區博勞町四丁目百十五番邸
丸善株式會社支社書店
雜 報 p24-29
◎助産婦學會例會
同會は去月十日今橋三丁目
緒方婦人科病院に於て例に依て午後七時より開催せらる
會長緒方博士(臀位分娩實驗覽内參照)に就て述べられ
水口醫學士の流産に就ての講演等あり
頗る盛會にて來會者五十四五名散會せしは午後十時なりき
⦿大阪府産婆試驗合格者
本年第二回大阪府に於ける内務省産婆受驗者
百四十六名ありしが合格せるもの六十二名なりしと
◎同仁會會長大隈伯の演説
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
故小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
―略―
―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります
又産婆を養成する これは最も容易く行はる
而して其の人達が學びさへすれば
其の學問に對する報酬は内地にて働くよりも
遙かに大いなる報酬を得るのである
のみならず淸國の婦人方の幸福と云ふものは
非常に大いなる者である
其他我同仁會に資金さへ豐富であるならば
續々其人を淸國其他へ送り付けることが出來る
即ち施費を與へて送るので
さうすると必ず向ふにて自立して行くことが出來るやうで
さうすると必ず向ふに
て自立して行くことが出來るやうである
何うも淸國には殆んど醫者がないのであります(以下略)
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【助産之栞. (139)】1907-12 明治40年12月
所蔵なし
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月10日
小野安子(祖母):西太后の主治医にという話
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