《別府賢吉》君
[釧路國の部]
【東北海道人物画伝. 第1巻】大正1年
【東北海道人物画伝. 第1巻】大正1年11月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920895/110
[釧路國の部] p41/124
《別府賢吉》君 p79/124
札幌地方裁判所々屬
法學士 別府賢吉氏は、
明治十六年十月一日 ※明治16年(1883)10月1日生
福岡縣築上郡三毛門村大字三毛門に生る。
三十六年 熊本第五高等学校を卒業して ※明治36年(1903)
東京帝國大學 法科大学 獨法科に入り、
四十一年卒業して法學士となる。 ※明治41年(1908)
四十二年二月 辨護士登録を了して ※明治42年(1909)2月
東京に於て開業す。
開業幾干もならずして或る事情に防げられ、
氏も亦將來辨護士たるを好まず、
仝年 やまと新聞社に入りて ※明治42年(1909)
政治經濟法律記者となり
昨 四十四年十一月まで在社、 ※明治44年(1911)11月
此間 氏は文官高等試験に應じたるも、
筆記に及第して
口授に失敗したるは惜む可きなり。
四十四年十二月渡道して ※明治44年(1911)12月
旭川町に來りて辨護士開業、
釧路町の有望に觀取して出張所開設、
少壯辨護士として令聞あり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920895/79
[釧路國の部]
【東北海道人物画伝. 第1巻】大正1年
【東北海道人物画伝. 第1巻】大正1年11月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920895/110
[釧路國の部] p41/124
《別府賢吉》君 p79/124
札幌地方裁判所々屬
法學士 別府賢吉氏は、
明治十六年十月一日 ※明治16年(1883)10月1日生
福岡縣築上郡三毛門村大字三毛門に生る。
三十六年 熊本第五高等学校を卒業して ※明治36年(1903)
東京帝國大學 法科大学 獨法科に入り、
四十一年卒業して法學士となる。 ※明治41年(1908)
四十二年二月 辨護士登録を了して ※明治42年(1909)2月
東京に於て開業す。
開業幾干もならずして或る事情に防げられ、
氏も亦將來辨護士たるを好まず、
仝年 やまと新聞社に入りて ※明治42年(1909)
政治經濟法律記者となり
昨 四十四年十一月まで在社、 ※明治44年(1911)11月
此間 氏は文官高等試験に應じたるも、
筆記に及第して
口授に失敗したるは惜む可きなり。
四十四年十二月渡道して ※明治44年(1911)12月
旭川町に來りて辨護士開業、
釧路町の有望に觀取して出張所開設、
少壯辨護士として令聞あり。
辨護士 法學士
《別府賢吉》君http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/920895/79
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』