《山内成太郎:山内伍三郎:保井谷=三ノ宮村長》郷土誌「三ノ宮」

郷土誌「三ノ宮」
昭和五十六年一月二十日 発行   ※昭和56年(1981)1月20日
発行者 郷土誌「三ノ宮」編集委員会
委員長 渡辺 修
印刷所 瑞穂印刷所
瑞穂町字橋爪           ※現:京都府船井郡京丹波町橋爪

(5)自治関係者   p157
歴代村長
 氏 名    就 任 年
北村徳之烝  明治二二年(一八八九)
大槻孝一郎  明治二六年(一八九三)
北村徳之烝  明治二八年(一八九五)
山内成太郎  明治二九年(一八九六) ※保井谷
山内伍三郎  明治三一年(一八九八) ※保井谷
北村三治   明治三三年(一九〇〇)
沢田治太郎  明治四五年(一九一二)
山内久間   大正 六年(一九一七) ※三ノ宮:山内三郎兵衛の長男
北村一義   大正一四年(一九二五)
山内久間   昭和 四年(一九二九) ※三ノ宮:山内三郎兵衛の長男
宇野重太郎  昭和一六年(一九四一)
上田道蔵   昭和二二年(一九四七)
(町村合併) 昭和二六年(一九五一)
《山内成太郎:山内伍三郎:保井谷=三ノ宮村長》
p157

区長をつとめた人   p164
保井谷 山内伍三郎  p164
三ノ宮 山内久間   p166

第二節 畜産     p286
搾乳用の洋牛が導入されたのは
明治三十年(一八九七)頃のようである。
之は保井谷の山田伍三郎氏で      ※保井谷:山田伍三郎
牛乳は近隣村の需要者へ配達販売した。
明治四十年(一九〇七)の飼育が最高で、
乳牛九頭を飼養し年間五〇石の牛乳を生産した。
その後漸次規模を縮小し
大正四、五年(一九一六)頃
乳牛飼育を廃止した。

第三節 養蚕業      p290
―略―
和田の三一館に於ては、  p292
技術者養成と共に、蚕種製造を行い近隣に配付した。
三ノ宮村内に於ては、
保井谷山内成太郎、質志北村三治氏が   ※保井谷:山内成太郎
一時蚕種製造を行ったこともあり、
又 三ノ宮蚕糸小組で数年間行ったこともある。

郷土誌「三ノ宮」より
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「丹波屋」―創業97年の肥料問屋
綱島不二雄
(元札幌大学経済学部教授 産業経営研究所客員研究員)
―略―
2. 丹波屋の沿革と先駆的経営戦略
1) 創業者 山内成太郎(1862-1923)の人となりと業績
      ※文久2年(1862)~大正12年(1923)
彼は28歳の時(1889年:明治22年)三の宮の家業酒造業を継いだ。
事業家としての出発であった。
しかし彼は、当時は日本キリスト教牧師
留岡幸助(後に北海道遠軽に家庭学校開設)に深く師事し、
禁酒断行、そのため酒造業から牧畜業に転進する徹底ぶりであった。
弁舌にも勝れ、若くして三の宮村長に推された。
村長時代には当時の貧窮した状況打破に心を砕き、
村内に貯金箱を回し、日掛貯金を奨励した。
当時は、その日の稼ぎの大半を酒につぎこみ、
生活のうさをはらす人も多く、
その予防をも兼ねた策といえよう。
多くの家庭で歓迎された運動であった。
これも断酒運動の一側面を継いだものといえる。

41歳となった1903年(明治36年)、
彼は三の宮での牧畜業に見切りをつけ、
北海道開拓に憧れを抱いて旭川に移住した。
それまでの経験を生かし、
醸造業を起こし、味噌、しょうゆの製造に着手した。
商才にもたけ、店の看板に大きな赤鬼を描き
「鬼みそ」の名で売り出し、上々の売れ行きであった。
時を同じくして、新得に500町歩の丹波屋牧場を開設し、
搾乳し、販売を試みたが、
これは需要が少なく育成牧場に転換している。

3年後の1906年(明治39年)には醸造業、新得牧場を手放し、
友人三人と共同で上川郡比布村に470町歩の農場を取得し、
大農場経営に本格的に乗り出した。

―略―
もっとも創始者、山内成太郎は、1917年(大正6年)
合資会社(資本金5万円)丹波屋商会になった折りに、
経営の第一線を退き、社会運動に専念し、
1920年(大正9年)には旭川禁酒会を結成、その会長を務めたりしたが、
1923年(大正12年)病を得て、
神奈川県茅ケ崎で逝去。

丹波屋の代表には成太郎二男の山内英二の養父、
佐野啓次郎が合資会社丹波屋の初代代表社員に就任している。
1918年(大正7年)に開設された小樽支店の初代支店長には
成太郎の二男、山内英二が就任している。
―略―
<参考文献>
丹波屋社史―創業75周年史. 1988(昭和63年)
丹波屋事業報告書(各年次)
拙著「戦後化学肥料産業の展開と日本農業」2004(平成16年) 農文協

[KJ00007246565.pdf - 札幌大学学術情報リポジトリ]
https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri...id...‎
山内成太郎 (1862-1923 年) の人となりと業績.
彼は 28 歳の時 山内成太郎は, これを見て,
町の盛衰は師団. ではなく農村の繁栄にあると悟り,
もっとも創始者, 山内成太郎は, 合資会社 (資本金5万円) 丹波屋商会に ...
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[北海道と共に歩み、北海道に貢献できる企業を目指して]
<株式会社 丹波屋>
本社所在地 札幌市東区北6条東2丁目3番3号
資本金   4億6,374万5,350円
代表者   幸田幸弘(取締役社長)
従業員   253名(男205、女48) 平成24年12月現在
年 商   465億円(平成24年3月期)
http://kk-tanbaya.co.jp/kaisya/