《高田畊安:夫人てる子》
《安正》《重正》《守道》《直》《善》《善正》《のぶ子》等の數子あり
【大正人名辞典】大正6年

【大正人名辞典】大正6年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946063/1127
《高田畊安》君 p1125/1128
△出生地 京都府
△現住所 東京、麹町、三番、三〇
△生年月 文久元年八月十九日 ※1861年9月23日生
 東洋内科醫院長 南湖院長 醫學博士
博士は京都の人
高田守正氏の二男にして
文久元年八月十九日を以て生る、 ※1861年9月23日生
少壯既に社會人類の爲に一身を捧げんとするの志あり、
醫を以て身を立て幾多の薄倖者を救濟せんとす、
茲に於て早く東京に出で
東京帝國大學醫科に入り
明治二十三年を以て卒業す、 ※明治23年(1890)
時に君僅に二十二歳なりき、
斯る年少の醫學士は當時に於ても異數に屬せり、
頭脳明晰而も君は之に満足せず
醫科大學の助手となり、
第一醫院に勤務して専ら内科を専攻す、
二十九年に至り       ※明治29年(1896)
東洋内科醫院をお茶の水河畔に設け後
麹町三番町に移し、
三十二年          ※明治32年(1899)
相州茅ヶ崎に南湖院を創立し
共に其院長として診察に從事し令名嘖々たり、
故を以て大正五年に至り   ※大正5年(1916)
醫學博士の學位を授けらる、
夫人を《てる子》と呼び、
《安正》《重正》《守道》《直》《善》《善正》《のぶ子》等の
數子あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946063/1125

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