《渡邊哲信 廣島縣御調郡三原町 淨念寺》
【本願寺職員録. 大正6年8月現在】
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《小島秀哲》 備後國御調郡三原村 善敎寺
《長岡吟敎》 福岡縣宇佐郡長洲町 妙滿寺
【本願寺職員録. 大正6年8月現在】
大正6年12月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/109
法務部 p9/111
侍眞補(休職) p10/111
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/10
讃衆補(休職) p12/111
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/12
備後敎區 p36/111
御調組々長
准稟四 《小島秀哲》 備後國御調郡三原村 善敎寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/36
北豊敎區 p41/111
宇佐下組々長
准稟四 《長岡吟敎》 福岡縣宇佐郡長洲町 妙滿寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/41
巡回布敎使 p75/111
稟一 《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺 p77/111
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/77
稟一 《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺 p78/111
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/78
《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
〔武内俊子〕 先々代住職渡辺俊哲氏の長女
[広島 三原] 社団法人 三原観光協会
『浄念寺〈浄土真宗〉』
運入山浄念寺は、天正年間東町に建てられ、
元禄時代にこの地へ移されましたが、
洪水にあい一切の記録が消失しましたので、
詳しいことは解っていません。
また、先代住職の渡辺哲信氏が、
西本願寺北京別院へ特命住職として滞在中に購入した
本生譚碑(釈迦の前生の物語を大理石に浮き彫りにした碑)が、
市の重要文化財に指定されておりましたが、
平成元年(一九八九年)に火災で焼失してしまいました。
現在の建物は、平成3年(一九九一年)の建造です。
〔武内俊子生誕の地〕
武内俊子は、明治38年(一九〇五年)、
先々代住職渡辺俊哲氏の長女として、ここ浄念寺に生まれました。
県立広島高等女学校を卒業ののち結婚のため上京、
世田谷区に住み野口雨情などに師事し、
童謡作家・童話作家として活躍しました。
代表作「かもめの水兵さん」「赤い帽子・白い帽子」
「リンゴのヒトリゴト」「船頭さん」など、昭和20年没、享年41歳。
昭和36年(一九六一年)、俊子17回忌に、武内俊子賞創設。
第1回受賞者、高田敏子。
宮浦公園内に「かもめの水兵さん」の記念碑があります。
―略―
(社)三原観光協会
〒723-0014 広島県三原市城町1丁目1-1
TEL 0848-63-1481 FAX.0848-67-5911
http://mihara-kankou.com/temple/tohomegurhi_nishi.html
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
[PDF]<大谷探検隊の活動と大谷尊重(光明)・渡邊哲信>
東海大学紀要文学部
片山章雄
www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no77/07katayama.pdf
さらに年末12月30日,
吉見圓藏・渡邊哲乘・野村禮讓・茂野純一・前田德水が神戸解纜,
シンガポー.ル経由で1903年1月下旬には緬甸(ビルマ、現ミャンマー)
に到着している
自らの一行は北上して四川の叙州,
ここで渡邊哲乘と別れて水路で重慶、陸路で宜昌に至り吉見と上海へ,
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no77/07katayama.pdf
【本願寺職員録. 大正6年8月現在】
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《小島秀哲》 備後國御調郡三原村 善敎寺
《長岡吟敎》 福岡縣宇佐郡長洲町 妙滿寺
【本願寺職員録. 大正6年8月現在】
大正6年12月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/109
法務部 p9/111
侍眞補(休職) p10/111
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/10
讃衆補(休職) p12/111
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/12
備後敎區 p36/111
御調組々長
准稟四 《小島秀哲》 備後國御調郡三原村 善敎寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/36
北豊敎區 p41/111
宇佐下組々長
准稟四 《長岡吟敎》 福岡縣宇佐郡長洲町 妙滿寺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/41
巡回布敎使 p75/111
稟一 《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺 p77/111
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/77
稟一 《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺 p78/111
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907443/78
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
《渡邊俊哲》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
〔武内俊子〕 先々代住職渡辺俊哲氏の長女
[広島 三原] 社団法人 三原観光協会
『浄念寺〈浄土真宗〉』
運入山浄念寺は、天正年間東町に建てられ、
元禄時代にこの地へ移されましたが、
洪水にあい一切の記録が消失しましたので、
詳しいことは解っていません。
また、先代住職の渡辺哲信氏が、
西本願寺北京別院へ特命住職として滞在中に購入した
本生譚碑(釈迦の前生の物語を大理石に浮き彫りにした碑)が、
市の重要文化財に指定されておりましたが、
平成元年(一九八九年)に火災で焼失してしまいました。
現在の建物は、平成3年(一九九一年)の建造です。
〔武内俊子生誕の地〕
武内俊子は、明治38年(一九〇五年)、
先々代住職渡辺俊哲氏の長女として、ここ浄念寺に生まれました。
県立広島高等女学校を卒業ののち結婚のため上京、
世田谷区に住み野口雨情などに師事し、
童謡作家・童話作家として活躍しました。
代表作「かもめの水兵さん」「赤い帽子・白い帽子」
「リンゴのヒトリゴト」「船頭さん」など、昭和20年没、享年41歳。
昭和36年(一九六一年)、俊子17回忌に、武内俊子賞創設。
第1回受賞者、高田敏子。
宮浦公園内に「かもめの水兵さん」の記念碑があります。
―略―
(社)三原観光協会
〒723-0014 広島県三原市城町1丁目1-1
TEL 0848-63-1481 FAX.0848-67-5911
http://mihara-kankou.com/temple/tohomegurhi_nishi.html
《渡邊哲信》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
《渡邊哲乘》 廣島縣御調郡三原町 淨念寺
[PDF]<大谷探検隊の活動と大谷尊重(光明)・渡邊哲信>
東海大学紀要文学部
片山章雄
www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no77/07katayama.pdf
さらに年末12月30日,
吉見圓藏・渡邊哲乘・野村禮讓・茂野純一・前田德水が神戸解纜,
シンガポー.ル経由で1903年1月下旬には緬甸(ビルマ、現ミャンマー)
に到着している
自らの一行は北上して四川の叙州,
ここで渡邊哲乘と別れて水路で重慶、陸路で宜昌に至り吉見と上海へ,
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no77/07katayama.pdf