《桑原久米之輔義厚:戒平》
【土佐名家系譜】昭和17年

蕨岡村 大庄屋 《桑原久米之輔義厚:戒平》

【土佐名家系譜】昭和17年3月2日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/468
第八篇 幡多郡 三十六家 p410/471
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/410
二二七、中村  桑原氏  p430/471
○桑原氏系圖 數に分れ 蕨岡 楠島 諸家あり。 p431/471
○蕨岡村 大庄屋     p431/471
 《桑原久米之輔義厚》――《戒平》 維新勤王
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/431

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

第一章 時代の子(2)
西南戦争はその帰結すべきところに落ち着いた。
西郷は退いて城山に倒れ、
薩南の健児は概ね討ち死にし、
こうして乱は鎮められた。
立志社は当然の順序として政府の弾圧を受け、
多くの巨頭は西郷加担の罪に問われて処罰された。
「天保伊太」の
依岡伊太郎もまた身辺の危うさを感じた。
当時、
高知出身の桑原戒平という人物が
八丈島の島司をつとめ
小笠原島々司をも兼ねていたので、
伊太郎はこの人を頼って土佐を脱出し、
十二年に小笠原島へ渡航して
父島に落ち着き殖産の事業を始めた。
―略―
投稿時刻 16th September 2012、投稿者 Harima さん
ラベル: 依岡省三伝
http://yorioka.blogspot.jp/2012/09/blog-post_16.html