《桑原戒三:島司》⇒《桑原戒平》
【小笠原島総覧】昭和4年

※《桑原戒三》⇒《桑原戒平》

【小笠原島総覧】昭和4年
 昭和4年10月26日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173723/260
第十三章 小笠原島廰の設置  p36/263
 明治十九年十一月、
 改めて小笠原島廰が設置せられて、
 元出張所長《立木兼善》が、
 島司に任ぜられ、
 二十年二月、
 一等警視《小野田元凞》が代つて島司となる。
 同人は、曩に内務省書記官として、
 監獄設置の命を帯びて來航した一人であつた。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173723/36
(二十一年)十一月、
     《小野田》島司、長野縣書記官に轉じ、
     《赤川戇助》が代つて島司に任ぜらる。

      この年、《澁澤榮一》、製藍會社を設け、
      勞動者を渡航せしめて、
      藍の栽培を圖る。
      又、有志組織の農會成り、
      更に勸業試驗場の設置あり、
     《水島辰次郎》を教師として島民に傳習せしめた。

二十三年、 組合員總代《川島卯八》等
      五十八名を以て父島精糖組合組織せられた。
      十一月には、《赤川》島司、依願免官となり、
     《桑原戒三》が之に代はる。 ※《桑原戒三》⇒《桑原戒平》

二十四年  一月  巡査部長を置かる。
      五月  各地世話掛を公選せしむ。
      九月  硫黄島の三島嶼が、
          帝國圖版に編入せられ、
          島廰の所轄となる。
      十一月 扇浦に、眞宗本派久遠寺の建立成る。

      この年から明治二十六年まで、
     《鍋嶋喜八郎》の獨力によつて、
      帆船で一年四回の航路を開く。

※(明治二十五年)
      十二月 《桑原》島司、依願免官となり、
     《橋本正人》これに代はる。
      この年、小包郵便を開始せられ、 ※明治25年?
      又《小笠原貞頼》の三百年祭を扇浦に擧行した。

二十六年  本島内地間の定期航海を、
      一年に六回と定めらる。
      その十一月には、警察事務を警視廰の管掌に移して、
      更に總監から島司にその職務權限を分任された。
      この月、《橋本》島司・非職となつて、
     《北澤正誠》が、その後任となる。
      この年始めて鰹魚の漁業を行ふ。
二十七年  一月、母島沖村に郵便局を設置す。
      ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1173723/37

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』