[模範女醫 油川太嘉子]
 明治四十三年十月
【新聞集成明治編年史. 第十四卷】

【新聞集成明治編年史. 第十四卷】
 昭和15年6月28日第三版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920445/328
明治四十三年十月(皇紀二五七〇 西暦一九一〇)
[未成年の女醫者]       p182/331
〔一〇・二九、東朝〕

女丈夫を以て自らも許し、
他人も許して居た
芝區宇田川町
日本醫學校 附属病院 芝分院
主任女醫の《油川太嘉子》は、
廿四日
上總大原の轉療地にて
遂に逝去つた。
享年三十二。
▲太嘉子は滋賀県水口藩の家老職たりし
 辯護士《油川信近》の女で、    ※《油川信近》別稿に記載
 十七歳の時
 看護婦を志願して飄然郷里を出で、
 一面の識さへなき
 《北里醫學博士》夫人を尋ねて、
 《北里》氏の養正園の看護婦となつた。
 夫れから何かの事情で
 慈恵病院に轉じ、
 更に特志看護婦を志願して、
 赤十字の看護婦養成所に入り卒業した。

 然るに赤十字の看護婦養成方法には、
 一大缺點があると云ふので
 《太嘉子》は院長《橋本醫學博士》に迫つて
 其の改善を促したが、
 博士は言を左右に託して要領を得ない、
 更に赤十字社長《佐野常民》氏を
 其の自宅に訪ふて、
 簡単に用向きを陳べ面會を請ふと、
 面會を許されない、
 仕方がないので三日間
 其の門前を動かなかつたので、
 《佐野》氏も我を折つて面會して、
 《太嘉子》の申分を一々聞取つて、
 其の改善方を《橋本博士》に命じた事がある、
〔下略〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920445/182

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


<出身學校別女醫數>大阪慈惠醫院醫學校・関西醫學院 約30名
020《油川太嘉121》關西醫學院・日本醫學校
  『油川たか子』大阪慈恵:關西醫學院
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2267442.html