《瀬谷小次郎》 ※宇都宮縣 士族
        明治五年壬申二月十四日(1872年3月22日)

《安藤小次郎》 栃木縣 平民
【東京府職員録. 明治10年2月改正】

【東京府職員録. 明治10年2月改正】
[東京府職員録]明治十年二月七日改 p2/79
知事  從五位 《楠本正隆》  長崎縣 士族  p2/79
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779951/2
九等屬     《安藤小次郎》 栃木縣 平民  p8/79
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779951/8

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《瀬谷小次郎》
[安藤小次郎君 畧傳]
【栃木県人物編】明治28年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599574.html

[Wikipedia]
[安藤 三郎](あんどう さぶろう)
(1883年12月24日 - 1963年8月1日)は、
日本陸軍の軍人。
最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
黒羽藩家老・安藤小次郎の長男として生れる。
東京府立第四中学校を経て、
1905年11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。
翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。
歩兵第66連隊付などを経て、
1917年11月、陸軍大学校(第29期)を卒業した。
 ―略―
1944年8月から1946年3月にかけて
立川飛行機社長を務めた。
親族[編集]
弟 瀬谷啓(陸軍中将)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E4%B8%89%E9%83%8E

[Wikipedia]
[瀬谷 啓](せや ひらく)
(明治22年(1889年)10月3日
- 昭和29年(1954年)5月27日)は、
昭和時代の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
栃木県出身。黒羽藩家老・安藤小次郎の息子として生まれ、
瀬谷月山の養子となる。
成城中学校、陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、
1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、
同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となった。
1918年11月、陸軍大学校(30期)を卒業。
 ―略―
1944年3月、満州国鉄路警護司令官に就任し、
1945年4月、召集を受け羅津要塞司令官となり終戦を迎えた。
同年9月、ソ連抑留となり、
1954年5月に自決した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E8%B0%B7%E5%95%93