《鳥海若菜 旧姓 吉川:鳥海弘毅の妻》
[小學 師範學科 明治12年7月卒業]
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
《鳥海若菜 東京日本橋 坂本町 学者 吉川楽平 長女》
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
明治35年8月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/133
五 小學 師範學科 卒業生 p123/138
明治十二年二月卒業(十五人) p123/138
岩崎ちせ 東京士
鈴木 池田きみ 東京平
山岡 林 くわ 滋賀士
長谷川 西川ふみ 青森士
諏訪 布浦たか 島根士
佐久間 相馬りく 滋賀士
岡村 中村ますゑ 廣島士
山崎 山口ゑい 鹿児島士
《古市らく》 兵庫士
一增 福田ふく 長崎平
田中 藤村 頴 東京士
佐方 鎭 東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/123
水野 菊池みね 東京士 p124/138
師岡のぶ 東京平
靑山 《森田ちせ》 東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124
明治十二年七月卒業(十八人) p124/138
鬼頭 石川ます 千葉士
埴原 鏡 東京平
平塚 萩原さう 高知士
吉川 《鳥海若菜》 東京平
小具てい 東京士
明石 尾本まつ 京都平
關口 高木こう 東京平
中村 大森 文 東京士
小野 日下てい 福岡平
蘆野 藤村はる 岩手士
雨宮 古屋つね 山梨平
小沼なみ 東京平
平塚 小宮ひで 神奈川平
榎本つね 和歌山士
雨宮たに 山梨平
柏井 菊池いち 東京士
萩野 志方ぎん 埼玉平 ※萩野⇒荻野 誤植:小野一雄
喜多見 四宮とも 徳島士 死亡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124
明治十三年二月卒業(十九人) p124/138
―略―
明治十三年七月卒業(十五人) p124/138
―略―
明治十四年二月卒業(十七人) p125/138
―略―
明治十四年七月卒業(十六人) p125/138
永井 服部たか 東京平
多賀 《鳩山はる》 東京士
松下 林 しやう 廣島士
長嶺 本多さだ 青森士
小池 神中なつ 和歌山士 死亡
長谷川 宇川てつ 東京士 死亡
押川 猪狩ゑい 宮崎士
猪子 沖野 筆 兵庫士
吉村 倉田かな 静岡士 死亡
川名 古市こう 兵庫士
伏見りう 愛知士
厚木 小杉くら 静岡士
堤 木暮きよ 群馬平
田寺 阪根てふ 山口士
志賀 宮本 幸 長野士 死亡
本多 平山よし 東京平
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/125
明治十五年二月卒業(十一人) p125/138
―略―
【秋田県職員録. 明治15年7月改正】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599593.html
『参考資料』
<あきた(通巻84号) 1969年(昭和44年) 5月1日発行 -全64ページ->
[人・その思想と生涯㊲] ~和田汀史~
筆者 本荘市松ケ崎申学校教諭、郷土史研究家で、
著書に「亀田の家と人」などがある。
岩城町郷土史編集委員、亀田城門の会副会長。
―略―
二人の結婚は明治十四年三月一日で、
鳥海が三十三歳、若釆夫人が二十四歳の時であった。
若釆は東京日本橋の坂本町の学者吉川楽平の長女で、
女子師範(後の東京高等女子師範)時代は
津田英学塾の津田梅子や鳩山一郎の母堂の春子と同級で、
才媛のきこえが高かった。
二人の生活には経済的に苦しい時代もあったが、
夫人は決してその苦しさを表面に出さなかったという。
訪問客にも一度として不快な思いをさせなかったそうで、
鳥海家に出入していた人々は口をそろえて
日本婦人の亀鑑であると賞讃している。
若釆夫人の能書は有名で家事の合間に
源氏物語四十八巻を毛筆で写されたのが、
今も同家にたいせつに保存されている。
―略―
http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/084/084_049.html
《靑山千世=旧姓 森田:山川菊枝の母》
《吉川若菜=鳥海若菜:鳥海弘毅の妻》
《古市洛》
[罫畫具を賜はり]
【東京女子高等師範学校沿革略志】大正4年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2600625.html
[小學 師範學科 明治12年7月卒業]
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
《鳥海若菜 東京日本橋 坂本町 学者 吉川楽平 長女》
【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
明治35年8月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/133
五 小學 師範學科 卒業生 p123/138
明治十二年二月卒業(十五人) p123/138
岩崎ちせ 東京士
鈴木 池田きみ 東京平
山岡 林 くわ 滋賀士
長谷川 西川ふみ 青森士
諏訪 布浦たか 島根士
佐久間 相馬りく 滋賀士
岡村 中村ますゑ 廣島士
山崎 山口ゑい 鹿児島士
《古市らく》 兵庫士
一增 福田ふく 長崎平
田中 藤村 頴 東京士
佐方 鎭 東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/123
水野 菊池みね 東京士 p124/138
師岡のぶ 東京平
靑山 《森田ちせ》 東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124
明治十二年七月卒業(十八人) p124/138
鬼頭 石川ます 千葉士
埴原 鏡 東京平
平塚 萩原さう 高知士
吉川 《鳥海若菜》 東京平
小具てい 東京士
明石 尾本まつ 京都平
關口 高木こう 東京平
中村 大森 文 東京士
小野 日下てい 福岡平
蘆野 藤村はる 岩手士
雨宮 古屋つね 山梨平
小沼なみ 東京平
平塚 小宮ひで 神奈川平
榎本つね 和歌山士
雨宮たに 山梨平
柏井 菊池いち 東京士
萩野 志方ぎん 埼玉平 ※萩野⇒荻野 誤植:小野一雄
喜多見 四宮とも 徳島士 死亡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/124
明治十三年二月卒業(十九人) p124/138
―略―
明治十三年七月卒業(十五人) p124/138
―略―
明治十四年二月卒業(十七人) p125/138
―略―
明治十四年七月卒業(十六人) p125/138
永井 服部たか 東京平
多賀 《鳩山はる》 東京士
松下 林 しやう 廣島士
長嶺 本多さだ 青森士
小池 神中なつ 和歌山士 死亡
長谷川 宇川てつ 東京士 死亡
押川 猪狩ゑい 宮崎士
猪子 沖野 筆 兵庫士
吉村 倉田かな 静岡士 死亡
川名 古市こう 兵庫士
伏見りう 愛知士
厚木 小杉くら 静岡士
堤 木暮きよ 群馬平
田寺 阪根てふ 山口士
志賀 宮本 幸 長野士 死亡
本多 平山よし 東京平
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812814/125
明治十五年二月卒業(十一人) p125/138
―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
【秋田県職員録. 明治15年7月改正】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599593.html
『参考資料』
<あきた(通巻84号) 1969年(昭和44年) 5月1日発行 -全64ページ->
[人・その思想と生涯㊲] ~和田汀史~
筆者 本荘市松ケ崎申学校教諭、郷土史研究家で、
著書に「亀田の家と人」などがある。
岩城町郷土史編集委員、亀田城門の会副会長。
―略―
二人の結婚は明治十四年三月一日で、
鳥海が三十三歳、若釆夫人が二十四歳の時であった。
若釆は東京日本橋の坂本町の学者吉川楽平の長女で、
女子師範(後の東京高等女子師範)時代は
津田英学塾の津田梅子や鳩山一郎の母堂の春子と同級で、
才媛のきこえが高かった。
二人の生活には経済的に苦しい時代もあったが、
夫人は決してその苦しさを表面に出さなかったという。
訪問客にも一度として不快な思いをさせなかったそうで、
鳥海家に出入していた人々は口をそろえて
日本婦人の亀鑑であると賞讃している。
若釆夫人の能書は有名で家事の合間に
源氏物語四十八巻を毛筆で写されたのが、
今も同家にたいせつに保存されている。
―略―
http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/084/084_049.html
《靑山千世=旧姓 森田:山川菊枝の母》
《吉川若菜=鳥海若菜:鳥海弘毅の妻》
《古市洛》
[罫畫具を賜はり]
【東京女子高等師範学校沿革略志】大正4年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2600625.html