[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月

【朝鮮児童画談】明治24年9月
[朝鮮兒童畫談]               p1/30
 凡 例。
此書は、
本年六月二十日附の、 ※明治24年(1891)6月20日
朝鮮國元山津在留
内藤盛治氏の通信に據り、
修正増補して成れるものなり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/1
 ―略―
明治辛卯八月中浣。  ※明治24年(1891)8月 p2/30
  著者識。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/2
[朝鮮兒童畫談]               p4/30
  研堂 著。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/4
元山津は、                  p5/30
江原、黄海、平安、京畿諸道より、
商品の輻湊する所にして、
我國との交易場と定めたる新港となす、

京城との電信線も架設しあり、
從て商業も一層活發なり、
亦日本人の家屋軒を連ぬ。

山口・長崎兩縣人
最も多し。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/5
[元山に於る日本少年敎育の景況]       p25-27/30
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/25
當地は、始め本願寺出張の僧侶の、       p25/30
二三名の子弟に讀書習字等を敎授せしが、
抑も敎育の始めにて、
其後追々人口の繁殖するに隨ひ、
漸く子弟の數を增し、

ただ寺院の一室のみにては、          p26/30
到底狭きを告げ、
遂に學校を新築するの議起り、

明治二十一年十月、     ※明治21年(1888)10月
全く落成を見るに至れり。

即ち現今の
元山共立小學校これなり。

敷地は廣からざれども、
生徒の運動場などは餘りあり。

校舎は三十坪の建屋にて、
西洋造りなり。

敎室は少なきも、
結構頗る當を得て、
内地の小學にも劣らざる建築と覺ゆ。

殊に敎育器械の如きも、
充分に備はり居り、
風琴體操器具等も、
疾(と)くより備付て實施し、
敎育上更に欠點なきものゝ如し。

其敎科書課程等は、
從來長崎縣に準し、
土地の情況を斟酌して敎授せしが、

尚昨年五月より  ※明治23年(1890)5月
百事に改良を加へ、
學校規則をも編輯し、
領事の認可を經て、              p27/30
目下實施なし居れり。

即ち尋常科には、
修身、體操、讀書、習字、圖畫、作文、算術、唱歌の八科、

高等科には、
尚地理、歴史、理科等を加へしなり。

學業大に進歩し居れども、
只女子のために
裁縫科の設けなきは、
少しく惜む所なり。

生徒は四十三名、
最高級は高等科三年生にして、
毎年三月に省級試驗あり。

敎員は總て二名にて、

來年度には、
校舎の増築をもなすの筈なりといふ。

但し、
英語
韓語等は、
別に相應の學會ありて、
韓語尤も盛んなり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/27
明治二十四年九月 十日印刷
明治二十四年九月十一日出版
著 者 石井民司
    東京市日本橋區濱町二丁目十四番地
發行者 高橋省三
    東京市神田區錦町二丁目五番地
印刷者 三井駒治
    東京市京橋區弓町二十四番地
    耕文社
發行所 學齢舘
    東京市神田區錦町二丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/28

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』