《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

【九州視察報告】明治43年12月13日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/192
◎私立海星商業學校  p107/197
 ◎學則 及 現況一班

本校は明治二十五年(1892)の創設に係り
三十六年(1903)學則を變更して
甲種程度となし

豫科二年本科四年たり

生徒定員は五百名にして
現在三百名を算し

教師は本邦十名

外國人十名
内 葡萄牙(ポルトガル)人 一名
  佛(フランス)人    一名
  獨(ドイツ)人     二名
  米(アメリカ)人    二名なり

校長フランサワルーシユー氏は
アルサスローレンスの人
年齢三十歳を出てず
三十四年(1901)本邦に航し
暫く東都に教鞭を執り

三十八年(1905)本校の副校長となり

四十一年(1908)四月
前校長エミリエンペーレン氏の後を禀けて
校長となり
本校の聲譽益々高し
盖し氏は清新快活にして
兼ねて學德あり
眞に好個の青年紳士たり

本校の經費は四十一年度(1908)に於て
一萬七百圓を算し
總て佛國私立マリヤ教育會の經營に係り

校舎は五層の煉瓦建より成り
設備完全なり

本校は英佛獨語を重んじ

卒業生は多く海外貿易に從事す

又 附屬小學校 及 幼稚園ありと
雖も四十二年度(1909)を以て
廢止せん事を期する者の如く

本校生徒中
英米獨佛と兒童を始め
清韓の兒童も亦少なからず

其他 混血兒も亦多し

尚ほ本年度入學生は
豫科百二十三名にして
此 應募者百四十五名

本科三十七名にして
此 應募者八十名を算せり

 ◎本校施設の一班
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/107

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[海星学園]
学校法人 海星学園 海星中学校・海星高等學校
長崎県長崎市東山手町5番3号
沿 革
明治25年 長崎市南山手に海星学校創立
      初代校長はマリア会員のジャック・バルツ
明治28年 現在の東山手5番3号に移転
明治44年 海星中学校になる
 ―略―
http://www.kaisei-ngs.ed.jp/gakuen-shokai/kyokun-enkaku/

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html