[支那海關在勤日本人調査表]
《小川常是夫=小川清秀:上海》
【最新支那官紳録】大正7年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
[支那海關在勤日本人調査表] p680/740
(大正五年十二月末 現在)
一、内班(In-door)(五十人)
職 名 姓 名 在勤地 就職年月
税務司 《黒澤禮吉》 蘇州 明治三十二年七月
税務司 《立花政樹》 青島 明治三十三年二月
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/680
二、外班(Out-door)(百四十五人) p681/740
職 名 姓 名 在勤地 就職年月
三等鈴子手 《小川常是夫》 上海 大正五年十二月 p682/740
試用鈴子手 《兩角 祐》 上海 大正五年 七月 p682/740
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/682
大正七年八月十七日印刷
大正七年八月二十日發行
編纂 兼 發行者 支那研究會
北京東城公平當胡同
右 代表者
田原禎次郎
印刷者 島 連太郎
東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所 三秀舎
東京市神田區美土代町二丁目一番地
發賣所 冨山房
東京市神田區裏神保九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/719
小川清秀 祖父
小川 梅 祖母
小川文子 母 大正10年(1921)6月5日生
撮影年月 大正末期
[赤い屋根の官舎]
わたしの大連・営口
凍結した遼河(昭和五年前後)
寒風を帆に孕んで走る氷上橇(営口)
SAILING-SLEDGES RUNNING ON FROZEN RIVER. YINGKOU.
冬になると遼河は全面凍結した。
ジャンクの代わりにソリが走った。
一度乗せてもらったがスピードがあって気持ちがよかった。 P13
父、佑(たすく)は・・・。
当時上海で一番収入が良いのは税関であることを知っていた父は、
一生懸命勉強して運良く税関に入ることができた。
そのころ、おかしなことだけれど、
中国の税関は英国が支配していたので英国人が多く、
ドイツ人、アメリカ人、日本人と世界各国から人が集まり、
仕事はすべて英語でやっていた。 P16
官舎も初めは二階建、二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
一年後にはすぐ隣の広い敷地に、
上海から職人を呼んで建てた純英国式、四階建四軒続きの家に移った。
小さいほうの家は後に大連に移ってからも
「何かお伽噺しに出てくるような家だったな―」と思い出していたから、
子供心にも安東の家とすっかり違った家で印象が強かったのではないだろうか。
最初の家の隣家には
三姉と同級の文子さんと、 ※小川文子:小野文子
下に男の子が二人いて ※小川清久 小川清澄
いつも庭で一緒に遊んだ。 P52
1990年12月12日 初版第一版発行
著 者 両角享子
発行者 羽生和男
発行所 宝文館出版株式会社
東京都千代田区神田神保町三ノ一七
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2224074.html
《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html
《小川常是夫=小川清秀:上海》
【最新支那官紳録】大正7年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
[支那海關在勤日本人調査表] p680/740
(大正五年十二月末 現在)
一、内班(In-door)(五十人)
職 名 姓 名 在勤地 就職年月
税務司 《黒澤禮吉》 蘇州 明治三十二年七月
税務司 《立花政樹》 青島 明治三十三年二月
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/680
二、外班(Out-door)(百四十五人) p681/740
職 名 姓 名 在勤地 就職年月
三等鈴子手 《小川常是夫》 上海 大正五年十二月 p682/740
試用鈴子手 《兩角 祐》 上海 大正五年 七月 p682/740
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/682
大正七年八月十七日印刷
大正七年八月二十日發行
編纂 兼 發行者 支那研究會
北京東城公平當胡同
右 代表者
田原禎次郎
印刷者 島 連太郎
東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所 三秀舎
東京市神田區美土代町二丁目一番地
發賣所 冨山房
東京市神田區裏神保九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874492/719
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
小川清秀 祖父
小川 梅 祖母
小川文子 母 大正10年(1921)6月5日生
撮影年月 大正末期
[赤い屋根の官舎]
わたしの大連・営口
凍結した遼河(昭和五年前後)
寒風を帆に孕んで走る氷上橇(営口)
SAILING-SLEDGES RUNNING ON FROZEN RIVER. YINGKOU.
冬になると遼河は全面凍結した。
ジャンクの代わりにソリが走った。
一度乗せてもらったがスピードがあって気持ちがよかった。 P13
父、佑(たすく)は・・・。
当時上海で一番収入が良いのは税関であることを知っていた父は、
一生懸命勉強して運良く税関に入ることができた。
そのころ、おかしなことだけれど、
中国の税関は英国が支配していたので英国人が多く、
ドイツ人、アメリカ人、日本人と世界各国から人が集まり、
仕事はすべて英語でやっていた。 P16
官舎も初めは二階建、二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
一年後にはすぐ隣の広い敷地に、
上海から職人を呼んで建てた純英国式、四階建四軒続きの家に移った。
小さいほうの家は後に大連に移ってからも
「何かお伽噺しに出てくるような家だったな―」と思い出していたから、
子供心にも安東の家とすっかり違った家で印象が強かったのではないだろうか。
最初の家の隣家には
三姉と同級の文子さんと、 ※小川文子:小野文子
下に男の子が二人いて ※小川清久 小川清澄
いつも庭で一緒に遊んだ。 P52
1990年12月12日 初版第一版発行
著 者 両角享子
発行者 羽生和男
発行所 宝文館出版株式会社
東京都千代田区神田神保町三ノ一七
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2224074.html
《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html