《永井軍次郎君》船井郡高原村字富田・高原信用組合理事長
【現代船井郡人物史】大正5年
【現代船井郡人物史】大正5年
【現代船井郡人物史】大正5年
高原信用組合理事長
《永井軍次郎君》 p72/157
船井郡高原村字富田
氏は文久二年十二月 ※1863年1月
船井郡坪井村に生る、
祖先は園部藩に屬し代々庄屋、
年寄等の公職を勤めたる名家たり
前代を儀兵衛と云ひ氏は其長子なり、
明治二十三年二月村會議員となり
二十七年一月高原村収入役に擧げられ、
三十一年富田區長となる
三十四年四月再び村會議員となり、
三十九年十二月
保證責任高原信用購買組合の創立なるや
保證責任高原信用購買組合の創立なるや
擧げられて理事となり
明治四十年九月同村學務委員當選、
四十一年區長再選、
四十二年九月高原村々長當選、
勤續殆ど二期
大正五年二月辭任したるが
此間に於ける治績のみるべきもの頗る多し、
同四十三年一月高原信用組合理事長に擧げられ
現今に至れり、
其年船井郡販賣米同業組合
創立委員に擧げられ百方盡力の結果
四十四年三月其創立を告ぐるや評議員となり、
其月産牛組合高原小組長選任、
大正元年十二月同村靑年團長となりしが
大正五年三月村長辭任に續て辭任せり、
大正三年四月船井郡農會評議員、
同年五月郡産牛組合評議員となり、
同年十二月販賣米同業組合高原村支部長に擧げられ
同時に郡評議員に當選せり、
大正四年九月解散に付き精算人となりたり、
大正五年二月擧げられて同村學務委員となり、
同年三月船井郡畜牛組合高原村小組長並に
船井郡農會代表議員となり
今日に至れり、
君は温厚篤實の君子にして、
人と爭を好まず至極圓滿にして
眞面目一方の人なり、
されば赫々たる治蹟擧らずと雖ども、
着實徐々に其歩を進め
石橋叩て而して渡るの感あらしむ、
されど日進月歩の今日
二期近き間村長として名聲ありたるは
其確實なりしに依るならんか、
氏は磊落にして克く語り議論の人にあらざるも、
敢て支障を生ずることなく、
愛村を以て終始一貫せり、
今や比較的閑散の地にありて
嗜好とせる書畫骨董に親み、
風流を事とせり、
されど年齒尚春秋あり
健在以て益々國家の爲に貢獻を祈る。
【船井郡誌】大正4年
第十六章 高原村 p145/196
一、沿革
古の須知郷の一部にあたる。
今、豐田、富田、實勢、下山の四大字あり。
大字豐田は元紅井、谷、新宮の三村に分れ、
大字富田は高屋、坪井 二村に、
大字實勢は上十勢、下十勢二村に、
大字下山は黑瀨、蕨、尾長野、白土、知野部の五村に分れたり。
德川時代に於ては、
坪井、谷、黑瀨、蕨、尾長野、白土、知野部の七村は
園部藩の所領にして、
―略―
【大日本紳士名鑑】大正5年
⦿高原村(三、六八五) p86/1086
《永井軍次郎》 村長
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年10月03日 07:33 ◆京丹波町 商工
『現・船井郡京丹波町』【丹波物産会報告. 第1回】明治21年
米 二等賞 丹波國 船井郡 豊田村 永井斧八 p32/54
米 五等賞 丹波國 船井郡 富田村 永井軍治郎 p36/54
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