『活動の時機:別府賢吉』
第五高等学校[龍南會雜誌]91-56-89

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 91: 56-89
Issue date 1902-04-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5325
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5325/1/091-010.pdf

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○演説部大會(三月七日)           p27/35
 ※明治35年(1902)3月7日

第一席は『活動の時機』なる題を掲げて立てる  p28-29/35
一部獨法二年の別府賢吉君である、

君が諄々として説く所を聞けば
大体こうである、

宇宙間の萬物は皆活動して居る
――勿論此處には君の審しき例証があつたのである――
人も亦其の數に漏れ?活動して居る、

彼の偉人傑士は只?の活動が、
より大に、
より烈しかつたのだと説き、

更に進みて、
社會と活動を悲觀して
厭世的な考を持つ人あり、

又は他人の活動を罪悪と見て、
それを禁せんが爲め
書を焼きし秦始皇の如きあれども、
二者共に否なりと辨駁し、

更に滔々數万言
――支那流で云へば――
であつたが、
惜むらくば、
演説し終らざるに時間が來た、

が而し、
その結論も、
大概は讀むことが出來る、

時間の短いのは、
始めから、
判然つて居るのだから、
思想も適當に短縮して置く必要があるのだ、

この点が卽ち稽古になるのである、
龍南の辨士には屡々
演し終れずに降壇するものがあるが
此の風は大に注意す可きものである。

第二席はスヰート先生である、
――先生は別府君が演説中に來られた――
演題は御國名物のスキスピア、
内懐から原稿を取出されて、
自分の演題は、
セキスピアとしあるけれど、
實は、
セキスピアを例證として、
如何に英文學を研究す可きかを
説くのであるとの前置て、
ピチャピチャ饒舌られたが、
實の所、
雜報子は、
聞き取ることが出來ぬ
――英語が下手であるから――
が大体を綴り合せて見ると、
書物は一編大体を通讀して、
その後に文法的に解す可し、
これ英文學を研究する奥の手で、
又其書物の著者が、
如何なる境遇にあるしとき、
その著ありしかを知る必要あり、
―略―

於是乎        p32/35
遠山部長は壇上に立ちて
各辨士を批評せらるゝには

別府君は誠に好個の辨士である、
アーチキユレーションも
明晰であつたし、
語の中に卽ち
音のムーブメントのに
思想の愉快が籠つて居て
聽く者が中々聽き取り易かつた……
説明的の演説には最も適當して居る、
が動もすれば平板に流るゝ患があるから
それを一ツ注意せねばならぬ、
又今少し強く
エキスプレツスションをなした方がよい、
君はまだ二年で練習する機會があるから
奮發し給へ
―――
先生話中に必ず
上衣の一番下のボタンを
懸けてははずす癖あり
―――
―略―

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