『別府賢吉:東西德敎の比較』
第五高等学校[龍南會雜誌]100-183-204

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 100: 183-204
Issue date 1903-06-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5708
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5708/1/100-026.pdf

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

○第三回演説會記事       p4/23
滿地の新綠微風に薫ずる
五月廿二日夜、    ※明治36年(1903)5月22日
演説部は卒業生餘䬻を兼ね、
第三回演説會を瑞邦舘裡に開く。

『東西德敎の比較』 別府賢吉君 p7-8/23

豊頬とカイゼルの髯とを
徐ろに壇上に運んで説て曰く、

余少時漢學を崇拜し西洋の物質的文明を蔑視せしが、
近時少しく基督敎を研究するに至り
卽ち今聊か東西思想界の比較を試みんとす、

先づ西敎の主なる基督敎は其の理想を唯一神にして
愛、正義、眞理の神なるゴツトに置けり、

之に對し東洋思潮の根源たる儒敎は、
治國平天下を以て目的とせり、
今其の及ばせし社會的現象に見れば、
我國明治維新の大業の如き
戰國時代の活劇の如き、
是れ儒敎の力にして

佛蘭西革命の如き
米國獨立の如きは
是れ基督敎の力なり、

一は愛と正義の敎にして
ルツテル、ワシントンの如き人物出でたり、

一は大義名分を精神として
藤田東湖、四十七士の如き義士現はれぬ。

要するに基督敎の根本義は神の前には公共なり、
正義の前には恐るゝ所なしといふに在り、

然りと雖も這般の思想は東洋にも亦
古來存せりしなり、

彼の義理の爲めには身を忘れ、
水火の中をも辞せざるが如きは
此の思想の發現なり。

基督敎が文明を西洋に與へし如く。

儒敎は東洋に文明を與えざりしと雖も、
其の眞理は必ず存在せりしなり、
唯其の精神の發展せざりしのみ。

次に両敎の將來を想望するに、

余は到底基督敎に隨喜する能はず、
文明人を救濟する宗教なりと信ずる能はず、
今日西洋に於て戰爭等の殘忍なる事行はれ、
漸く德敎の根本を喪失せんとしつゝあるは
全く此の故なるが如し。

佛敎は吾人をして
厭世的の境涯に導きし弊はありとするも、
而も死に對する大覺悟を養成せし上に於ては、
却て大に西人に誇らんと欲する所なり、

西人は多く死に對して
恐怖の念を懐くと雖も、

我國民は全く之を超脱し、
平然として死を見ること歸するが如し、

是れ我か國民が善戰の士なる所以にして、
斯くの如き思想は
全く東洋的の大精神より
胚胎し來りたるものなりと信ず、

と西敎は遂に東敎の上に
出つる能はざるを論じ
終りて降壇せり。

其の滔々として
東を論じ
西を説き、

理を談し
例を掲げ、

巧みに擒縱の妙を極めて
遂に其の要を逸せざりしは、

さながら渓流の
紆餘曲折の致を呈しつゝも、
終始東指して大海に朝するに似たり、

而も其の切實なる語氣は
大に聽者を感せしめたりき。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇