≪空から盟邦の訪客≫
[松本嬢:馬淵嬢 飛來す]
【満洲国現勢. 康徳2年版】昭和10年
【満洲国現勢. 康徳2年版】昭和10年3月1日発行
編輯兼發行人 里見 甫
發行所 滿洲國通信社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242934/571
≪空・陸・海から盟邦の訪客≫
[松本嬢 飛來す]
(康徳元年:昭和9年(1934)十一月四日) p67/578
『白菊號』
[馬淵嬢 飛來す]
(康徳元年:昭和9年(1934)十一月五日) p67/578
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242934/67
[二等飛行機操縦士]
松本キク
馬淵テフ子
◇女流飛行家 訪滿飛行
【国民年鑑. 昭和11年】昭和10年10月1日再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/485
≪民間航空機乗員一覧≫ p149/492
(昭和十年(1935)八月一日現在)
[二等飛行機操縦士] p150/492
松本キク p133/492
馬淵テフ子 p133/492
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/150
≪航空近時≫ p152/492
〔昭和九年九月以降 重要記事〕
◇女流飛行家 訪滿飛行 ※月日記載なし
女流飛行家
馬淵てふ子、同
松本キク子の
訪滿飛行に成功した。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/152
【毎日年鑑. 昭和11年】昭和10年9月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117095/286
『航空界の一ケ年』 p100/288
昭和九年十月
▲松本きく子嬢は十月廿二日、
馬淵てふ子嬢は十月廿六日
東京出發、
いづれもサルムソン式を操縦、
女子最初の訪滿飛行として
松本嬢は十一月三日新京に、
馬淵嬢も十一月五日安着した
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117095/100
満州訪問飛行
http://www.town.kamisato.saitama.jp/ijin/ijin04.htm
白菊号 (サムルソン式2A2型)
http://www.town.kamisato.saitama.jp/ijin/ijin04-02.htm
[Wikipedia]
[馬淵 テフ子](まぶち ちょうこ)
(1911年(明治44年)6月5日 - 1985年(昭和60年)2月23日)は、
日本の女性パイロット。青森県弘前市出身。
―略―
1934年(昭和9年)3月、女性18人目[1](13人目という説もある)の
二等飛行操縦士の資格を取得。
4月、伊豆玄岳へ初の単独飛行[2]。
8月14日、サルムソン2A2型陸上機で
航空学校進学の援助をしてくれた
祖母の故郷・秋田県鹿角市への郷土訪問飛行を果たす。
10月26日、サルムソン2A2型陸上機「黄蝶号」を操縦して
満州国建国親善飛行を敢行。
途中故障不時着などを経験しつつも、日本海を横断し、
西崎(旧姓:松本)キクと共に
日本女性飛行士として初の海外渡航を実現(11月5日に新京に到着)。
この実績によりハーモン・トロフィーを受賞した。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%B7%B5%E3%83%86%E3%83%95%E5%AD%90
[松本キク子ノ新京訪問飛行ニ関スル件]
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659604.html
[馬淵テフ子ノ訪満飛行ニ関スル件]
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659605.html
[亞細亞飛行學校女子部:教官 馬淵てふ子・松本きく子]
【毎日年鑑. 昭和10年】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659608.html
[松本嬢:馬淵嬢 飛來す]
【満洲国現勢. 康徳2年版】昭和10年
【満洲国現勢. 康徳2年版】昭和10年3月1日発行
編輯兼發行人 里見 甫
發行所 滿洲國通信社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242934/571
≪空・陸・海から盟邦の訪客≫
〔写真〕p67-578[松本嬢:馬淵嬢 飛來す]
[松本嬢 飛來す]
(康徳元年:昭和9年(1934)十一月四日) p67/578
『白菊號』
[馬淵嬢 飛來す]
(康徳元年:昭和9年(1934)十一月五日) p67/578
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1242934/67
[二等飛行機操縦士]
松本キク
馬淵テフ子
◇女流飛行家 訪滿飛行
【国民年鑑. 昭和11年】昭和10年10月1日再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/485
≪民間航空機乗員一覧≫ p149/492
(昭和十年(1935)八月一日現在)
[二等飛行機操縦士] p150/492
松本キク p133/492
馬淵テフ子 p133/492
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/150
≪航空近時≫ p152/492
〔昭和九年九月以降 重要記事〕
◇女流飛行家 訪滿飛行 ※月日記載なし
女流飛行家
馬淵てふ子、同
松本キク子の
訪滿飛行に成功した。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120267/152
【毎日年鑑. 昭和11年】昭和10年9月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117095/286
『航空界の一ケ年』 p100/288
昭和九年十月
▲松本きく子嬢は十月廿二日、
馬淵てふ子嬢は十月廿六日
東京出發、
いづれもサルムソン式を操縦、
女子最初の訪滿飛行として
松本嬢は十一月三日新京に、
馬淵嬢も十一月五日安着した
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117095/100
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
満州訪問飛行
http://www.town.kamisato.saitama.jp/ijin/ijin04.htm
白菊号 (サムルソン式2A2型)
http://www.town.kamisato.saitama.jp/ijin/ijin04-02.htm
[Wikipedia]
[馬淵 テフ子](まぶち ちょうこ)
(1911年(明治44年)6月5日 - 1985年(昭和60年)2月23日)は、
日本の女性パイロット。青森県弘前市出身。
―略―
1934年(昭和9年)3月、女性18人目[1](13人目という説もある)の
二等飛行操縦士の資格を取得。
4月、伊豆玄岳へ初の単独飛行[2]。
8月14日、サルムソン2A2型陸上機で
航空学校進学の援助をしてくれた
祖母の故郷・秋田県鹿角市への郷土訪問飛行を果たす。
10月26日、サルムソン2A2型陸上機「黄蝶号」を操縦して
満州国建国親善飛行を敢行。
途中故障不時着などを経験しつつも、日本海を横断し、
西崎(旧姓:松本)キクと共に
日本女性飛行士として初の海外渡航を実現(11月5日に新京に到着)。
この実績によりハーモン・トロフィーを受賞した。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%B7%B5%E3%83%86%E3%83%95%E5%AD%90
[松本キク子ノ新京訪問飛行ニ関スル件]
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659604.html
[馬淵テフ子ノ訪満飛行ニ関スル件]
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659605.html
[亞細亞飛行學校女子部:教官 馬淵てふ子・松本きく子]
【毎日年鑑. 昭和10年】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659608.html