《雲井浪子》
[寶塚少女歌劇團一行の入京]
【歴史写真. 大正8年7月號】
【歴史写真. 大正8年7月號】
[歴史寫眞]
大正八年七月號
大正八年七月一日發行
會長 秋好善太郎君
天變人事理工化學
後の今を見る 又猶 今の昔を見る如く
現代を利し 後世を益する事 莫大なり
株式會社 東光園
歴史寫眞會發行
東京淀橋 電話 番町 五八四・二七七四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966256/1
[寶塚少女歌劇團一行の入京] p20/37
寶塚の少女歌劇團は
昨大正七年の夏上京して
帝國劇場に獨特の歌劇を上演し
都人士の喝采裡に退却京したが、
大正八年にも再び帝劇の招きに應じ、
五月二十四日午後八時半
一行二十八名
東京驛着列車にて入京した。
殊に今回は同團の監督にして
嘗て外國より伴ひ來れる
《ホームス》といふ婦人の爲に捨てられたる
文學博士《坪内逍遥》氏
嗣子《坪内士行》氏も一行に加はり居り、
更に同氏が新たに選んで結婚するといふ噂のある
一座のスター《雲井浪子》嬢も上京したることとて
一層の人気を喚び
帝劇に於ても連日の大入を占めた。
寫眞は同團入京當夜
東京驛前の撮影に係るもので
前列左より二人目
鞄を手にしたるは問題の《浪子》嬢である。
[Wikipedia]
雲井浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井[1])
(1901年(明治34年)7月23日[2] - 2003年(平成15年)8月20日)は
元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。
兵庫県洲本市出身。
夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。
娘は女優・坪内ミキ子[3]。
実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、
実妹は宝塚歌劇団15期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なお子。
義理叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BA%95%E6%B5%AA%E5%AD%90
[寶塚少女歌劇團一行の入京]
【歴史写真. 大正8年7月號】
【歴史写真. 大正8年7月號】
[歴史寫眞]
大正八年七月號
大正八年七月一日發行
會長 秋好善太郎君
天變人事理工化學
後の今を見る 又猶 今の昔を見る如く
現代を利し 後世を益する事 莫大なり
株式會社 東光園
歴史寫眞會發行
東京淀橋 電話 番町 五八四・二七七四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966256/1
[寶塚少女歌劇團一行の入京] p20/37
寶塚の少女歌劇團は
昨大正七年の夏上京して
帝國劇場に獨特の歌劇を上演し
都人士の喝采裡に退却京したが、
大正八年にも再び帝劇の招きに應じ、
五月二十四日午後八時半
一行二十八名
東京驛着列車にて入京した。
殊に今回は同團の監督にして
嘗て外國より伴ひ來れる
《ホームス》といふ婦人の爲に捨てられたる
文學博士《坪内逍遥》氏
嗣子《坪内士行》氏も一行に加はり居り、
更に同氏が新たに選んで結婚するといふ噂のある
一座のスター《雲井浪子》嬢も上京したることとて
一層の人気を喚び
帝劇に於ても連日の大入を占めた。
寫眞は同團入京當夜
東京驛前の撮影に係るもので
前列左より二人目
鞄を手にしたるは問題の《浪子》嬢である。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[Wikipedia]
雲井浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井[1])
(1901年(明治34年)7月23日[2] - 2003年(平成15年)8月20日)は
元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。
兵庫県洲本市出身。
夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。
娘は女優・坪内ミキ子[3]。
実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、
実妹は宝塚歌劇団15期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なお子。
義理叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BA%95%E6%B5%AA%E5%AD%90