《飯塚仁兵衛》
(牛込區横寺町七)
【日本現今人名辞典】明治36年・明治45年

【日本現今人名辞典】明治36年2月14日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782773/796
《飯塚仁兵衛》  p72/802
(いひつか、にへゑ)
君は東京屈指の酒造家なり
大古源之助氏 長子
天保十四年九月      ※天保14年9月:1843年9月24日
上總國木更津在?南に生る
 ―略―
(納税 三〇〇圓餘、東京市牛込區横寺町七)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782773/72

【現代人名辞典】明治45年6月27日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/1020
《飯塚仁兵衛君》  p136/1027
君は酒造家なり。
上總の人、
大古源之助氏の長男にして、
天保十四年九月を以て   ※天保14年9月:1843年9月24日
木更津在?南村に生る、
夙に商業に志し
十二歳江戸に出で某店に入りて
店丁となり精勤以て?に力め、
遂に??に依り
飯塚氏の養子となる、
同家は牛込區内屈指の舊家にして
累世酒造を業とす、
君其業を襲ぐに及び
益其發展に力め、
斯界の重鎭を以て目せらるゝに至れり、
曩に東京府酒造組合の創立せらるゝや
推されて頭取となり、
爾來繼續上任する事數回に及ぶ、
明治十三年以來
常に牛込區名譽職に推選せられ、
區内の公共事業一として君の手に俟たざる無く
聲望甚高し、
日本赤十字社、
海防費獻金枚擧に邊あらず、
賞狀賞杯を受けし事
十數回に及び
二十六年黄綬褒章を賜はれり、
三十二年
内外火災保険會社を創立して社長に推され又
日本酒精會社及中央貯蓄銀行の重役たり、
曩に市會議員に擧げられたる事あり、
夫人を亡とき子と呼び
五男あり
(牛込區横寺町七 電話 番町 一一三三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/136

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』