《阿部保助:阿部賢吉:阿部泰太郎:阿部誠一郎》
【七和村誌:御即位記念】昭和3年
阿部保助 ※阿部家・11代
阿部賢吉 ※阿部家・12代
阿部泰太郎 ※阿部家・13代
阿部誠一郎 ※阿部家・14代
【七和村誌:御即位記念】昭和3年
顔写真 阿部賢吉 阿部婦人(高齢者) p27/220
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/27
村会議員
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/57
阿部武智雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/175
阿部賢吉 米田慶助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/200
第廿一章 人物 p203/220
二 飯詰代官役所詰の七和村出身の方々 p203-204/220
及 苗字帯刀差許の家柄 p204/220
手代 阿部彌八郎
同 阿部彌市郎
同 楠美万之亟
同 伊藤門之亟
同 阿部保助 ※阿部家・11代
同 齊藤金左衛門
同 楠美勇助
同 阿部左七
同 阿部賢次郎
同 阿部賢吉 ※阿部家・12代 ※あさ(嘉永元年)阿部保助 長女
三 年代前後不詳 苗字帯刀御免の家柄
代々御目見以上郷士 阿部賢吉
手代 楠美勇助
漆役 新谷久助
楮役 福士泰藏
同 楠見正左衛門
同 大阪宇作
同 楠見儀助
漆役 阿部賢次郎
同 阿部左七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/204
舊藩時代に異數之出精せる p204/220
阿部彌市郎氏
阿部彌八郎氏の弟で、
未だ別家せざる中に手代となり
然も一家に兄弟二人の手代は別格なりしと
伊勢代々登り
一人二回、是亦殆ど異數で町在共代々登に
選任せらるゝを無上の光榮として、
當時競争激烈なる者なるに
生涯に二度とな全く本人の希望よりも
組内の輿論で適任として人選上二回まで當り
首尾よく使命を果して一家親族は勿論
村として又組内の名譽なりしと。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/204
五 明治以後 村用係人名 p205/220
青森縣廳 明治十二年より戸長任免簿
明治十年 上原子羽野木澤俵元村用係 《阿部彌吉》
明治九年六月 六小區副戸長區費掛兼務申付 《阿部賢吉》
明治十一年 六七小區合併 筆生兼用係 《阿部賢次郎》
※阿部姓のみ記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/205
八 地租改正前後の盡力者 p206/220
―略―
舊藩以來の事務經歴ある
阿部保助、楠美勇助、福士門三郎、
阿部賢次郎、阿部左七の諸氏後援となり、
舊藩の御代官役及檢見役の經験ある
櫛引英八氏監督の下に
手代、大庄屋と引續き
副戸長なる事務家を以て有名なる
阿部賢吉氏主宰者として
萬事の協議に預り指圖を爲し、
當時壯年機敏なる
齋藤義孝、新谷則孝、
阿部多三郎、三上豊司、唐牛多市、
阿部織右衛門等の諸氏あり、
―略―
當時一村づゝの調べなりしも
楠美家、
持子澤の阿部家、
羽野木澤の阿部兩家、
原子の齋藤家、
俵元の三上家の如きは
二三ヶ村に持地ありし故に
其利害の關係上必ず立會すべき事なりし故に
双方協同調査打合せ等
自然に統一せる良成績を結び得たるならん。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/206
九 七和村 故人 人物評 p206/220
七和村 名門家 p206/220
羽野木澤 大阿部家 p206/220
往昔より
「羽野木澤 阿部どの井(イド)の水呑めば
七十 年老(トシヨリ)も若くなる」
との里謡に唄たる家柄で
一家一門最も多く
羽野木澤 大阿部 小阿部を本家として
羽野木澤、原子、持子澤、夕顔堰、常海橋の
五大字に擴り遠くは
北海道、青森、東京等へ支分家は出來、
現主 阿部誠一郎氏の祖父にして ※阿部家・14代
現代まで十四代
御目見以上代々郷士の家柄にて
祖先は羽野木澤堰奉行三十石を賜はり
居屋敷の租税御免の家柄で
專ら開墾に從事せりといふ、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/206
羽野木澤堰とは俵元新田、 p207/220
開墾用の排水路にして
(―略―)
即ち貢税二千二百七十五石の開墾をなせり、
關係上地方民よりは
大旦那と尊敬せられ
代々大地主豪族を以て目せらる、
現在も舊俵元新田領内に
阿部堰と唱へ殘れり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
御維新の際は p207/220
大農家の一大難事としたる所の
田畑拾町歩以上御取上げとなりたり、
此際藩内の大百姓は大概破産せるか、
當主賢吉氏は鋭意家政の整理に務められ
數年ならずして恢復す、
百事改革の場合よく時勢と共に進運せられ、
手代より大庄屋となり
戸長、副戸長となり、
自から進んで本村の自治に盡力し、
又 郡會議員、縣會議員に當選し
縣政の爲めに盡す等
地方公益のため常に心血を注がれ
憲法の實施せらるるや
貴族院多額納税資格者となり
後ち擧げられて
貴族院議員に勅選せらる、
是に於て家聲益々高く
郷土の名望愈々揚り
村内一般の敬服せる亦
偶然にあらざるなり。
賢吉氏は阿部家中興の英主にして
七和村として忘る可からざる恩人なり、
氏は夙に教育に留意せられ、
羽野木澤に小學校を造り
私金私財を投じ
校地を無料にて貸附し
教育費の輕からんことを慮り
其後高等科を併置するに當り
校地及木材を寄附せらるる等
大いに建築を助けらる、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
伜 泰太郎氏、 ※阿部家・13代 p207/220
薄給を以て數年の長き間
校長となり、
教科書は勿論
筆墨紙に至るまで
生徒に給與し宛然
己れの子弟を養成するが如く
教育の爲に盡されたる高潔の義心、
熱誠には感ぜざるものなく、
師弟の温情無窮に變らず
常に其の高徳を敬慕して
止まざるなり、
當主 誠一郎氏も名家の子孫に愧ぢざるの行動多く、 ※阿部家・14代
率先青年團の統率に務められ
先づ集合所を造り
專ら勤撿力行を奨勵し、
自ら鐘を鳴らして早起を督勵し、
而して青年の爲め有益となるべき共進會、
青年團、集會開催等の場合は
自身統率して一日の快をとらしむ等
青年の悅服する、
自ら他の範を示さるるなど
尊敬すべき行爲多く、
現村會議員として
村自治に貢献せらる、
羽野木澤學校の名聲ある氏の力多きに依る、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
阿部賢吉氏 略歴 p207-208/220
―略:詳細に記載あり―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
本村は p208/220
櫛引英八氏(明治十年として、四十二才)
阿部賢吉氏 (三十才)
阿部織右衛門氏 (三十才)
佐々木弘造氏 (三十才)
等の先輩諸氏ありて…、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/208
昭和三年三月二十七日 印刷
昭和三年三月三十一日 發行
(非賣品)
編輯 兼 發行人 藤田紋太郎
青森縣北津輕郡七和村 村長
印刷人 五島林太郎
東京府豊多摩郡野方町新井三三六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/219
【七和村誌:御即位記念】昭和3年
阿部保助 ※阿部家・11代
阿部賢吉 ※阿部家・12代
阿部泰太郎 ※阿部家・13代
阿部誠一郎 ※阿部家・14代
【七和村誌:御即位記念】昭和3年
顔写真 阿部賢吉 阿部婦人(高齢者) p27/220
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/27
村会議員
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/57
阿部武智雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/175
阿部賢吉 米田慶助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/200
第廿一章 人物 p203/220
二 飯詰代官役所詰の七和村出身の方々 p203-204/220
及 苗字帯刀差許の家柄 p204/220
手代 阿部彌八郎
同 阿部彌市郎
同 楠美万之亟
同 伊藤門之亟
同 阿部保助 ※阿部家・11代
同 齊藤金左衛門
同 楠美勇助
同 阿部左七
同 阿部賢次郎
同 阿部賢吉 ※阿部家・12代 ※あさ(嘉永元年)阿部保助 長女
三 年代前後不詳 苗字帯刀御免の家柄
代々御目見以上郷士 阿部賢吉
手代 楠美勇助
漆役 新谷久助
楮役 福士泰藏
同 楠見正左衛門
同 大阪宇作
同 楠見儀助
漆役 阿部賢次郎
同 阿部左七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/204
舊藩時代に異數之出精せる p204/220
阿部彌市郎氏
阿部彌八郎氏の弟で、
未だ別家せざる中に手代となり
然も一家に兄弟二人の手代は別格なりしと
伊勢代々登り
一人二回、是亦殆ど異數で町在共代々登に
選任せらるゝを無上の光榮として、
當時競争激烈なる者なるに
生涯に二度とな全く本人の希望よりも
組内の輿論で適任として人選上二回まで當り
首尾よく使命を果して一家親族は勿論
村として又組内の名譽なりしと。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/204
五 明治以後 村用係人名 p205/220
青森縣廳 明治十二年より戸長任免簿
明治十年 上原子羽野木澤俵元村用係 《阿部彌吉》
明治九年六月 六小區副戸長區費掛兼務申付 《阿部賢吉》
明治十一年 六七小區合併 筆生兼用係 《阿部賢次郎》
※阿部姓のみ記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/205
八 地租改正前後の盡力者 p206/220
―略―
舊藩以來の事務經歴ある
阿部保助、楠美勇助、福士門三郎、
阿部賢次郎、阿部左七の諸氏後援となり、
舊藩の御代官役及檢見役の經験ある
櫛引英八氏監督の下に
手代、大庄屋と引續き
副戸長なる事務家を以て有名なる
阿部賢吉氏主宰者として
萬事の協議に預り指圖を爲し、
當時壯年機敏なる
齋藤義孝、新谷則孝、
阿部多三郎、三上豊司、唐牛多市、
阿部織右衛門等の諸氏あり、
―略―
當時一村づゝの調べなりしも
楠美家、
持子澤の阿部家、
羽野木澤の阿部兩家、
原子の齋藤家、
俵元の三上家の如きは
二三ヶ村に持地ありし故に
其利害の關係上必ず立會すべき事なりし故に
双方協同調査打合せ等
自然に統一せる良成績を結び得たるならん。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/206
九 七和村 故人 人物評 p206/220
七和村 名門家 p206/220
羽野木澤 大阿部家 p206/220
往昔より
「羽野木澤 阿部どの井(イド)の水呑めば
七十 年老(トシヨリ)も若くなる」
との里謡に唄たる家柄で
一家一門最も多く
羽野木澤 大阿部 小阿部を本家として
羽野木澤、原子、持子澤、夕顔堰、常海橋の
五大字に擴り遠くは
北海道、青森、東京等へ支分家は出來、
現主 阿部誠一郎氏の祖父にして ※阿部家・14代
現代まで十四代
御目見以上代々郷士の家柄にて
祖先は羽野木澤堰奉行三十石を賜はり
居屋敷の租税御免の家柄で
專ら開墾に從事せりといふ、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/206
羽野木澤堰とは俵元新田、 p207/220
開墾用の排水路にして
(―略―)
即ち貢税二千二百七十五石の開墾をなせり、
關係上地方民よりは
大旦那と尊敬せられ
代々大地主豪族を以て目せらる、
現在も舊俵元新田領内に
阿部堰と唱へ殘れり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
御維新の際は p207/220
大農家の一大難事としたる所の
田畑拾町歩以上御取上げとなりたり、
此際藩内の大百姓は大概破産せるか、
當主賢吉氏は鋭意家政の整理に務められ
數年ならずして恢復す、
百事改革の場合よく時勢と共に進運せられ、
手代より大庄屋となり
戸長、副戸長となり、
自から進んで本村の自治に盡力し、
又 郡會議員、縣會議員に當選し
縣政の爲めに盡す等
地方公益のため常に心血を注がれ
憲法の實施せらるるや
貴族院多額納税資格者となり
後ち擧げられて
貴族院議員に勅選せらる、
是に於て家聲益々高く
郷土の名望愈々揚り
村内一般の敬服せる亦
偶然にあらざるなり。
賢吉氏は阿部家中興の英主にして
七和村として忘る可からざる恩人なり、
氏は夙に教育に留意せられ、
羽野木澤に小學校を造り
私金私財を投じ
校地を無料にて貸附し
教育費の輕からんことを慮り
其後高等科を併置するに當り
校地及木材を寄附せらるる等
大いに建築を助けらる、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
伜 泰太郎氏、 ※阿部家・13代 p207/220
薄給を以て數年の長き間
校長となり、
教科書は勿論
筆墨紙に至るまで
生徒に給與し宛然
己れの子弟を養成するが如く
教育の爲に盡されたる高潔の義心、
熱誠には感ぜざるものなく、
師弟の温情無窮に變らず
常に其の高徳を敬慕して
止まざるなり、
當主 誠一郎氏も名家の子孫に愧ぢざるの行動多く、 ※阿部家・14代
率先青年團の統率に務められ
先づ集合所を造り
專ら勤撿力行を奨勵し、
自ら鐘を鳴らして早起を督勵し、
而して青年の爲め有益となるべき共進會、
青年團、集會開催等の場合は
自身統率して一日の快をとらしむ等
青年の悅服する、
自ら他の範を示さるるなど
尊敬すべき行爲多く、
現村會議員として
村自治に貢献せらる、
羽野木澤學校の名聲ある氏の力多きに依る、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
阿部賢吉氏 略歴 p207-208/220
―略:詳細に記載あり―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/207
本村は p208/220
櫛引英八氏(明治十年として、四十二才)
阿部賢吉氏 (三十才)
阿部織右衛門氏 (三十才)
佐々木弘造氏 (三十才)
等の先輩諸氏ありて…、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/208
昭和三年三月二十七日 印刷
昭和三年三月三十一日 發行
(非賣品)
編輯 兼 發行人 藤田紋太郎
青森縣北津輕郡七和村 村長
印刷人 五島林太郎
東京府豊多摩郡野方町新井三三六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055686/219
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』