『満洲飛行機製造株式会社調査資料:②』昭和27年(1952)1月

『満洲飛行機製造株式会社調査資料』全22ページ

  第四 應召狀況  p3-4/22

一 満飛会社も他の團体と同様  p3/22
  昭和二〇年五月以降
  應召者続出し満洲各方面に入隊應召せるも
  特需会社なる故
  直接製作に當る工員に対しては比較的少なく
  事務系統の職員が多数應召した

二 應召の細部は全く不明であるが  p4/22
  判明したもののみを左に記す

 1 岩手縣膽沢郡小山村南台四九
   高橋惣喜氏 提供

    5月以降 奉天   関係社員 應召者数 約二八〇名
    5月以降 公主岺  関係社員 應召者数 約 五〇名
    5月以降 ハルピン 関係社員 應召者数 約 八〇名
   應召先は北満行多く
   (註:北満行とは奉天を基準とせるものならん)
   部隊名は記憶なし

 2 福島縣双葉郡幾世橋村幾世橋字北原43
   佐藤與七氏提供

    5月以降 ハルピン 関係社員 應召(入隊)狀況
   月別 應召先 應召人員 計
   五月 常盤   三
      山城鎭  二
      朝陽鎭  一   7
   七月 遼陽   三
      公主岺  二
      奉天   二
      牡丹江  三
      不明   七  17
   八月 ハルピン 四
      密山   ↓
      佳木斯  ↓
      常盤   ↓
      札蘭屯  ↓
      黒河   ↓
      琿春   ↓
      克山  四一 45

 3 個人名の判明した應召者の狀況は附表第三である
   註 本表中〔未〕者の所属部隊は
     〔世〕の判定が多い様である

   第五 今後に於ける要調査事項 p4/22

一 終戦後満飛会社の寮に居住した者は
  奉天市外にあつたのと
  物資が比較的豊富に保存してあつたので
  外部との亂斗なく又他團体との合流なく
  概ね團結して引揚迄行動を共にしてゐる爲
  調査は安易であるが又成果も少い

二 附表第二の表中要論行動群は
  ハルピン残留組とハルピンより奉天移動途中
  新京より西安炭坑に入つた組のみである

三 問題は寮を出て単独行動をした者であるが p5/22
  この調査は進捗してゐない
  〔未〕者で所属の判明した者は
  (編成表の下部に記載した)
  その所属毎に系をたぐつて行けば
  或る程度新資料が得られると確信してゐる

四 現地應召の調査はなお究明の余地あり
  現在〔未〕者中應召先、所属の異る者が
  若干あると思はれる

五 編成組織を基礎とした好資料保有者は
  附表第四の通りである

六 今回の調査は所属〔未〕者個人に対しては
  深く究明してゐないが
  主要歸還者約一五〇名に対し
  〔未〕連名簿を送付して調査の結果
  若干の成果があつた
  (成果は覚書として〔未〕名票に添附)

  第六 其の他の事項  p5/22

一 奉天本社附近の要図、附図の通りである

二 関東軍第六勤務隊の調査は満飛と併行して実施し
  その成果は別紙として添附したから
  参考にせられ度い

三 満飛会社と満航会社とは全々
  別の会社であるが
  混同してゐる向もあるので注意を要する
  満航編成の概要 附表第五の通りである


   ※満飛会社:満洲飛行機製造株式会社
   ※満航会社:満洲航空株式会社

《満洲飛行機製造株式会社調査資料》
【 階層 】防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>
 満洲>全般>重工業部門資料 昭和27年1月
【 レファレンスコード 】C13010271700
【 年代域 】昭和27年【 画像数 】22

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より