『独身寮の寮長であった中島君や、西四辻君、竹山君』
[追憶の曠野]小西達四郎


[追憶の曠野]小西達四郎

使役の作業は、
機械、施設の解体や梱包で
午前八時から五時までで、
使役に行った社員の苦労は並み大低ではなかった。

ソ連は進駐当時は軍票を発行し、
使役の社員にはその軍票で
毎日三十円から二十円が支給された。
この金は社員にとって唯一の財源で
生活の足しになったことは言うまでもなかった。

殊に育成工などの若い人達は、
売る品物とてなく、
また終戦時の生活資金も多くは貰っておらず、
その生活については非常に心配されたが、
独身寮の寮長であった
中島君や、  ※寮長 大和 中島穆 p70
西四辻君、  ※西四辻公敬
竹山君などが ※竹山?
計画的に使役の代行などで良く指導して
全員を働かさせてくれたので
それ等若い人達も細々ながら
自活を立派にやって引揚げることが出来たことは
偏えに前記三人の努力の賜であった。 p86

昭和三十四年七月三十日 印刷
非売品
著作者 小西達四郎
印刷所 秋田活版印刷株式会社

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月15日(木)
[追憶の曠野]小西達四郎
昭和三十四年八月一日 発行
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176730.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月15日(木)
[満洲飛行機の思い出]満州飛行機製造株式会社
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176728.html
※追記:平成27年(2015)1月1日
一方厚生課は
竹内課長始め
西四辻公敬
本社から出張で来た
村田篤彦君等が
食料や配給品の確保に大忙がしで働いてくれ、
大体満足する様になれば、…。 p40
https://livedoor.blogimg.jp/kazuo1947/imgs/5/b/5bf5d1e1.jpg

《西四辻公敬:にしよつつじ きみよし》
小学生の頃、父親(小野又一)に連れられて、
西四辻さんに、お会いしました。
祇園:八坂神社石段下・上る・一筋目を西、左側の家。
現在の「よしもと祇園花月(当時:祇園会館)」南側の筋。
お茶屋さん。
どちらかの足が悪く、杖を突いておられた。
『にしおおつじ』さんと、思っていた。


blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月07日(水)
『満洲飛行機製造株式会社調査資料:⑯』昭和27年(1952)1月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660104.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[西四辻公敬:子爵 西四辻公堯 三男]
【華族家庭録. 昭和11年12月調】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660106.html