『関東軍第六勤務隊部隊資料』昭和27年(1952)1月
『満洲飛行機製造株式会社調査資料』全22ページ
『関東軍第六勤務隊部隊資料』 p19/22
別紙
一 編成の概要
本部 部隊長 中尉 岩本兼次郎
副官 少尉 浜島幸三郎
書記 准尉 小野沢富士 (下士官四名)
主計 見士 大谷眞一 (下士官三名)
軍医 見士 田宮長一 (下士官二名) 14名
一中 中隊長 中尉 吉良仁孝
小隊長 見士 野村一彦 (下士官 兵 二九一名)
小隊長 准尉 西浦久五郎
中隊附 曹長 莊司 繁 295名
二中 中隊長 中尉 清水克己
小隊長 見士 秋吉 守 (下士官 兵 二八九名)?
小隊長 准尉 豊野清一
中隊附 曹長 青木久太郎 294名
合計 603名
二 轉出入の概要
1 昭和20年2月20日 在満各部隊より技術兵を以て編成
2 編成地 奉天市渾河区花園街・満飛会社・雄飛寮
3 昭和20年7月11日 鮮人七八名平壌軍管区より入隊
昭和20年8月17日 同右 召集解除
三 終戦後の行動の概要は左図の通りである p20/22
昭和20年8月15日 奉天 満飛 雄飛寮 総員603名
⇒20年10月頃 奉天発 南下組 約150名
平壌 三合里 クラスキー
安東
⇒満飛社員宅に分散 軍籍をかくす
北陵収容 二名 奉天單独行動 一名 帰国
入ソ 一名
満飛社員と同行動 約二〇〇名 21年8月頃帰国
奉天市内へ單独行動 約二〇〇名 20年9~10月
⇒昭和20年8月20日頃
須貝伍長以下約50名 錦西方面へ 帰国
四 未復員者個人資料は附表第一[p21]の通りであり
部隊幹部は自己所属者でも氏名を記憶してゐる者は少い
五 好資料者と思はれる者は附表第二[p22]の通りである
《満洲飛行機製造株式会社調査資料》
【 階層 】防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>
満洲>全般>重工業部門資料 昭和27年1月
【 レファレンスコード 】C13010271700
【 年代域 】昭和27年【 画像数 】22
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より
『満洲飛行機製造株式会社調査資料』全22ページ
『関東軍第六勤務隊部隊資料』 p19/22
別紙
一 編成の概要
本部 部隊長 中尉 岩本兼次郎
副官 少尉 浜島幸三郎
書記 准尉 小野沢富士 (下士官四名)
主計 見士 大谷眞一 (下士官三名)
軍医 見士 田宮長一 (下士官二名) 14名
一中 中隊長 中尉 吉良仁孝
小隊長 見士 野村一彦 (下士官 兵 二九一名)
小隊長 准尉 西浦久五郎
中隊附 曹長 莊司 繁 295名
二中 中隊長 中尉 清水克己
小隊長 見士 秋吉 守 (下士官 兵 二八九名)?
小隊長 准尉 豊野清一
中隊附 曹長 青木久太郎 294名
合計 603名
二 轉出入の概要
1 昭和20年2月20日 在満各部隊より技術兵を以て編成
2 編成地 奉天市渾河区花園街・満飛会社・雄飛寮
3 昭和20年7月11日 鮮人七八名平壌軍管区より入隊
昭和20年8月17日 同右 召集解除
三 終戦後の行動の概要は左図の通りである p20/22
昭和20年8月15日 奉天 満飛 雄飛寮 総員603名
⇒20年10月頃 奉天発 南下組 約150名
平壌 三合里 クラスキー
安東
⇒満飛社員宅に分散 軍籍をかくす
北陵収容 二名 奉天單独行動 一名 帰国
入ソ 一名
満飛社員と同行動 約二〇〇名 21年8月頃帰国
奉天市内へ單独行動 約二〇〇名 20年9~10月
⇒昭和20年8月20日頃
須貝伍長以下約50名 錦西方面へ 帰国
四 未復員者個人資料は附表第一[p21]の通りであり
部隊幹部は自己所属者でも氏名を記憶してゐる者は少い
五 好資料者と思はれる者は附表第二[p22]の通りである
《満洲飛行機製造株式会社調査資料》
【 階層 】防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>
満洲>全般>重工業部門資料 昭和27年1月
【 レファレンスコード 】C13010271700
【 年代域 】昭和27年【 画像数 】22
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より