《伊藤博邦》【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】
【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/722
《伊藤博邦》 p43/723
公爵 從二位勳二等
貴族院議員
當家は先代大勳位博文公より顯はる。
先代は舊山口藩士にして、
明治年間の元勳として知られ、
畏こくも 明治大帝の御信任厚く、
内閣を組織して總理大臣たること前後四回、
其の他樞密院議長、
貴族院議長、
朝鮮總督等の顯職を歷任し
明治四十年公爵を賜ふ。
君は其の後を承け
明治四十二年
襲爵仰せ付けらる。
君實は山口縣士族
井上五郎三郎君の四男にして、 ※下記:井上光遠(五郎三郎、井上馨の兄)
明治三年二月二日を以て生る。 ※1870年3月3日
幼名を勇吉と呼び
侯爵井上勝之助君の令弟に當り、 ※下記
故侯爵井上馨君の甥君にして
且つ
男爵伊藤文吉君の養兄君たり。 ※下記
夙に學習院を卒業するや、
獨逸に留學し
歸朝後宮内省に職を奉じて
式部官主事心得、
有栖川宮別當心得、
式部官主事、
式部次長等を歷任し、
大正十年(1921)主馬頭に任ぜられ、
現に貴族院議員として議政府に列し
國政に盡瘁すること甚大なり。
夫人たま子は
神奈川縣士族高島嘉右衛門君の長女にして
東京女學館を卒業し
其の間に
博精君、博春君、
博通君、博臣君、
博則君、博經君、
博孝君、博英君、
及び
愛子、十四子等あり、
因に博春君は
故男爵淸水資治君の養嗣子となれり。
東京市麻布區新龍土町十二番地
に現住し
電話 靑山三〇〇〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/43
[井上勝之助]
長州藩士・井上光遠(五郎三郎、井上馨の兄)の次男として周防国に生まれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%8B%9D%E4%B9%8B%E5%8A%A9
【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/722
《伊藤博邦》 p43/723
公爵 從二位勳二等
貴族院議員
當家は先代大勳位博文公より顯はる。
先代は舊山口藩士にして、
明治年間の元勳として知られ、
畏こくも 明治大帝の御信任厚く、
内閣を組織して總理大臣たること前後四回、
其の他樞密院議長、
貴族院議長、
朝鮮總督等の顯職を歷任し
明治四十年公爵を賜ふ。
君は其の後を承け
明治四十二年
襲爵仰せ付けらる。
君實は山口縣士族
井上五郎三郎君の四男にして、 ※下記:井上光遠(五郎三郎、井上馨の兄)
明治三年二月二日を以て生る。 ※1870年3月3日
幼名を勇吉と呼び
侯爵井上勝之助君の令弟に當り、 ※下記
故侯爵井上馨君の甥君にして
且つ
男爵伊藤文吉君の養兄君たり。 ※下記
夙に學習院を卒業するや、
獨逸に留學し
歸朝後宮内省に職を奉じて
式部官主事心得、
有栖川宮別當心得、
式部官主事、
式部次長等を歷任し、
大正十年(1921)主馬頭に任ぜられ、
現に貴族院議員として議政府に列し
國政に盡瘁すること甚大なり。
夫人たま子は
神奈川縣士族高島嘉右衛門君の長女にして
東京女學館を卒業し
其の間に
博精君、博春君、
博通君、博臣君、
博則君、博經君、
博孝君、博英君、
及び
愛子、十四子等あり、
因に博春君は
故男爵淸水資治君の養嗣子となれり。
東京市麻布區新龍土町十二番地
に現住し
電話 靑山三〇〇〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/43
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[井上勝之助]
長州藩士・井上光遠(五郎三郎、井上馨の兄)の次男として周防国に生まれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%8B%9D%E4%B9%8B%E5%8A%A9