[自然法爾の風光・葦原雅亮先生]
《西法寺住職 川上慈晃》
『葦原雅亮集』葦原浩二編
『葦原雅亮集』葦原浩二編
[自然法爾の風光・葦原雅亮先生] p267-270
西法寺住職 川上慈晃
親鸞上人の「自然法爾」の大道実践の為、 p267
今生の一切の名聞を棄てられ、
天草島手野の寒村に円教寺住職として
身業説法をお続けいただいた
葦原雅亮先生は、
故福澤諭吉先生の真弟子であられた。
わたしの父慈祥(西法寺十四世住職)は
自ら雅亮先生の直弟子と称し、
その事を生涯の喜びとし、
誇りとして九十三歳で念佛の中に浄土に還帰した。
父は明治十六年(1883)生であったが、
佐伊津尋常小学校を卒業すると、
当時東京に居た不出生の梵文学者で
叔父に当たる貞信を頼って本願寺立の高輪中学に入学、
卒業すると更に高輪大学の予科に入学したが、
予科修了時に本山の都合により高輪大学は閉鎖、
京都の仏教大学(龍谷大学)への統合が決り、
全員轉校する事になった。
―略―
先生は慶應義塾の先生や舎監をしておられたが、 p268
先生の舎監としての御姿は
光り輝くものがあった。
先生の和洋漢に通じられた博識、
宗乗では浩々洞近角常観先生の愛弟子であり、
余宗では鎌倉円覚寺の釈宗演等に参禅され、
しかも義塾の角力部のコーチとして、 ※下記
陸上競技部のリーダーとして
自らその実力を発揮され、
将に新しい型の「文武両道」の達人として
帝都でも有名人であられた。
―略―
筆者 本渡市佐伊津町在住 p270
特別養護老人ホーム慈晃園 園長
平成二年三月十五日印刷
平成二年三月二十日発行
編集・発行 葦原浩二
熊本県天草郡五和町下内野
浄土真宗 円教寺
電話 〇九六九 三三 〇一〇〇番
制作 海潮社(代表 吉永忠志)
熊本県本渡市本渡町一七六五の三
電話 〇九六九 二三 〇三二三番
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【慶応義塾案内. 昭和10年版(第14版)】
昭和10年1月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107259/259
■相撲部 p73/261
部長 バチエラー・オブ・ロース 生江惣太郎
寄宿舎の好角連が中庭に土俵を築き
素人相撲を初めたるは
明治三十六年(1903)頃で
當時の横綱常陸山を師範に聘し
三十七年(1904)二月には土俵開きを行ひ
其後學生相撲大會には何時も最高點を得て
東都に優勝を續く。
大正八年(1919)體育會に編入され
大正九年(1920)横綱大錦、栃木山等を招き
綱町に新設されたる土俵開きを行ふ。
本年度早慶對抗相撲には見事優勝す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107259/73
[慶応義塾体育会相撲部]
歴史
大正8年(1919)創部で
2019年に創部100年を迎えるアマチュア、
学生相撲界を代表する伝統ある部です。
http://www.keio-sumo.jp/keiosumo.html
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《西法寺住職 川上慈晃》
『葦原雅亮集』葦原浩二編
『葦原雅亮集』葦原浩二編
[自然法爾の風光・葦原雅亮先生] p267-270
西法寺住職 川上慈晃
親鸞上人の「自然法爾」の大道実践の為、 p267
今生の一切の名聞を棄てられ、
天草島手野の寒村に円教寺住職として
身業説法をお続けいただいた
葦原雅亮先生は、
故福澤諭吉先生の真弟子であられた。
わたしの父慈祥(西法寺十四世住職)は
自ら雅亮先生の直弟子と称し、
その事を生涯の喜びとし、
誇りとして九十三歳で念佛の中に浄土に還帰した。
父は明治十六年(1883)生であったが、
佐伊津尋常小学校を卒業すると、
当時東京に居た不出生の梵文学者で
叔父に当たる貞信を頼って本願寺立の高輪中学に入学、
卒業すると更に高輪大学の予科に入学したが、
予科修了時に本山の都合により高輪大学は閉鎖、
京都の仏教大学(龍谷大学)への統合が決り、
全員轉校する事になった。
―略―
先生は慶應義塾の先生や舎監をしておられたが、 p268
先生の舎監としての御姿は
光り輝くものがあった。
先生の和洋漢に通じられた博識、
宗乗では浩々洞近角常観先生の愛弟子であり、
余宗では鎌倉円覚寺の釈宗演等に参禅され、
しかも義塾の角力部のコーチとして、 ※下記
陸上競技部のリーダーとして
自らその実力を発揮され、
将に新しい型の「文武両道」の達人として
帝都でも有名人であられた。
―略―
筆者 本渡市佐伊津町在住 p270
特別養護老人ホーム慈晃園 園長
平成二年三月十五日印刷
平成二年三月二十日発行
編集・発行 葦原浩二
熊本県天草郡五和町下内野
浄土真宗 円教寺
電話 〇九六九 三三 〇一〇〇番
制作 海潮社(代表 吉永忠志)
熊本県本渡市本渡町一七六五の三
電話 〇九六九 二三 〇三二三番
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【慶応義塾案内. 昭和10年版(第14版)】
昭和10年1月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107259/259
■相撲部 p73/261
部長 バチエラー・オブ・ロース 生江惣太郎
寄宿舎の好角連が中庭に土俵を築き
素人相撲を初めたるは
明治三十六年(1903)頃で
當時の横綱常陸山を師範に聘し
三十七年(1904)二月には土俵開きを行ひ
其後學生相撲大會には何時も最高點を得て
東都に優勝を續く。
大正八年(1919)體育會に編入され
大正九年(1920)横綱大錦、栃木山等を招き
綱町に新設されたる土俵開きを行ふ。
本年度早慶對抗相撲には見事優勝す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107259/73
[慶応義塾体育会相撲部]
歴史
大正8年(1919)創部で
2019年に創部100年を迎えるアマチュア、
学生相撲界を代表する伝統ある部です。
http://www.keio-sumo.jp/keiosumo.html
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