《野本雪巖=野本晃光:大久保麑山の母の父》
【下毛郡誌】昭和2年
【下毛郡誌】昭和2年7月20日納本
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189329/462
《野本雪巖》 p369/466
中津藩の儒者なり、
名は晃
字 謙卿
通稱 亮右衞門
初め元良一に橘齋と號す、
宇佐郡白岩村の産
野本全庵の子なり、
家世々醫を業とす、
雪巖醫をなすを屑しとせず、
年十七名家に師事して學ばんとするも
家貧しく資なし、
中津の醫征矢野氏に寄食し
赤松滄洲・松本愚山に就て學び居ること四年、
其の業大に進みて郷に歸り
子弟を教授す、
天明四年 ※1784年
藩の文學に任ぜらる、
適々倉成龍渚
藩命を以て家を江戸邸に移す、
乃ち其の宅を賜はり代つて後進を教授す、
子弟從學する者愈々多し、
明年藩侯其の宅を収め、
學館を創設す、
進修館是れなり、
雪巖乃ち龍渚と相謀り、
新に學規を制し
釋菜を行ひ、
斡旋最も努む、
本藩の文教是れより大に興れり、
文政六年 ※1823年
召されて江戸に赴き君侯の侍讀となる、
天保五年十二月三日 ※1835年1月1日
病んで家に歿す、
歳七十四
龍王安王寺に葬む、
碑銘は帆足萬里の撰する所なり、
雪巖人と為り、
撲直其の學
朱子を宗とす、
著述には國史略詩文集等あり。
孝婦伊知碑文 野本雪巖
―略―
文化丁卯冬 ※文化4年丁卯:1807年2月
中津文學臣 野本晃光 奉命謹誌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189329/369
[野本良右衛門:野本晁光]
【大分県案内】明治35年10月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766549/282
◎宇佐郡 p256/321
◎孝女市之墓 p264-265/321
文化四年(紀元二千四百六十七年)
藩主 奥平昌高
儒臣 野本良右衛門をして碑銘を作らしめ…
文化四丁卯冬 中津文學臣 野本晁光 奉命謹誌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766549/264
HP[小野一雄のルーツ]
<大久保系圖>63《教之:大久保麑山》~66《四男 季吉》
http://www.ktb.zaq.ne.jp/gfajc605/b01-03-2.html
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【下毛郡誌】昭和2年
【下毛郡誌】昭和2年7月20日納本
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189329/462
《野本雪巖》 p369/466
中津藩の儒者なり、
名は晃
字 謙卿
通稱 亮右衞門
初め元良一に橘齋と號す、
宇佐郡白岩村の産
野本全庵の子なり、
家世々醫を業とす、
雪巖醫をなすを屑しとせず、
年十七名家に師事して學ばんとするも
家貧しく資なし、
中津の醫征矢野氏に寄食し
赤松滄洲・松本愚山に就て學び居ること四年、
其の業大に進みて郷に歸り
子弟を教授す、
天明四年 ※1784年
藩の文學に任ぜらる、
適々倉成龍渚
藩命を以て家を江戸邸に移す、
乃ち其の宅を賜はり代つて後進を教授す、
子弟從學する者愈々多し、
明年藩侯其の宅を収め、
學館を創設す、
進修館是れなり、
雪巖乃ち龍渚と相謀り、
新に學規を制し
釋菜を行ひ、
斡旋最も努む、
本藩の文教是れより大に興れり、
文政六年 ※1823年
召されて江戸に赴き君侯の侍讀となる、
天保五年十二月三日 ※1835年1月1日
病んで家に歿す、
歳七十四
龍王安王寺に葬む、
碑銘は帆足萬里の撰する所なり、
雪巖人と為り、
撲直其の學
朱子を宗とす、
著述には國史略詩文集等あり。
孝婦伊知碑文 野本雪巖
―略―
文化丁卯冬 ※文化4年丁卯:1807年2月
中津文學臣 野本晃光 奉命謹誌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189329/369
[野本良右衛門:野本晁光]
【大分県案内】明治35年10月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766549/282
◎宇佐郡 p256/321
◎孝女市之墓 p264-265/321
文化四年(紀元二千四百六十七年)
藩主 奥平昌高
儒臣 野本良右衛門をして碑銘を作らしめ…
文化四丁卯冬 中津文學臣 野本晁光 奉命謹誌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766549/264
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
HP[小野一雄のルーツ]
<大久保系圖>63《教之:大久保麑山》~66《四男 季吉》
http://www.ktb.zaq.ne.jp/gfajc605/b01-03-2.html
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