《大久保愼二》
[日淸戰爭當時の從軍記者]
【思ひ出草:随筆】岡本綺堂:昭和12年
【思ひ出草:随筆】昭和12年
[昔の從軍記者] p21/143
日淸戰爭當時は初めての對外戰爭であり、
從軍記者といふものゝ
待遇や取締りについても、
一定の規律はありませんでした。
朝鮮に東學黨の亂が起つて、
淸國が先づ出兵する、
日本でも出兵して、
(明治)二十七年六月十二日には
第五師團の混成旅團が仁川に上陸する。
かうなると、
鶏林の風雲おだやかならずと云ふので、
東京大阪の新聞社からも
記者を派遣することになりましたが、
まだ其時は從軍記者といふわけではなく、
各社から思ひ思ひに
通信員を送り出したといふに過ぎないので、
直接には軍隊とは何の關係もありませんでした。
そのうちに事態いよいよ危急に迫つて、
七月二十九日には成歡牙山の
支那兵を撃ち攘ふことになる。
この前後から朝鮮にある
各新聞記者は我が軍隊に附屬して、
初めて從軍記者といふことになりました。
戰局がますます擴大するに從つて、
内地の本社からは
第二第三の從軍記者を送つて來る。
これ等はみな陸軍省の許可を受けて、
最初から從軍新聞記者と名乘つて
渡航したのでした。
これ等の從軍記者は
宇品から御用船に乘込んで、
朝鮮の釜山又は仁川に送られたのですが、
前にもいふ通り、
何分にも初めての事で、
從軍記者に對する規律といふものが無いので、
その扮装も思ひ思ひでした。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/21
どの人もみな洋服を着てゐましたが、 p22/143
腰に白木綿の上帶を締めて、
長い日本刀を携へてゐるのがある。
槍を持つてゐるのがある。
仕込杖をたづさえてゐるのがある。
今から思へば嘘のやうですが、
其當時の從軍記者としては、
戰地へ渡つた曉に軍隊が何の程度まで
保護してくれるか判らない。
萬一負け軍とでもなつた場合には、
自衞行動をも執らなければならない。
非戰闘員とて油斷は出來ない。
まかり間違へば支那兵と
一騎打をするくらゐの
覺悟が無ければならないので、
いづれも嚴重に武装して出かけたわけです。
實際、
その當時は支那兵ばかりでなく、
朝鮮人だつて油斷出來ないのですから、
この位の威容を示す必要もあつたのです。
軍隊の方でも別にそれを咎めませんでした。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/22
昭和拾貮年拾月拾參日印刷
昭和拾貮年拾月拾八日發行
定價 貮圓
著作者 岡本綺堂
刊行者 小林美一
東京市日本橋區通二ノ四 日本橋ビル
印刷社 竹田佐藏
東京市神田區三崎町二ノ四
印刷社 一匡印刷所
東京市神田區三崎町二ノ四
製本所 柏谷製本工場
刊行所 相模書房
東京市日本橋區通二丁目四番地
日本橋ビルディング
電話 日本橋(24)九八〇・九八一番
振替 東京 一三〇四八〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/138
HP[小野一雄のルーツ]
<大久保系圖>75《三男 慎二》
http://www.ktb.zaq.ne.jp/gfajc605/b01-03-5.html
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[日淸戰爭當時の從軍記者]
【思ひ出草:随筆】岡本綺堂:昭和12年
【思ひ出草:随筆】昭和12年
[昔の從軍記者] p21/143
日淸戰爭當時は初めての對外戰爭であり、
從軍記者といふものゝ
待遇や取締りについても、
一定の規律はありませんでした。
朝鮮に東學黨の亂が起つて、
淸國が先づ出兵する、
日本でも出兵して、
(明治)二十七年六月十二日には
第五師團の混成旅團が仁川に上陸する。
かうなると、
鶏林の風雲おだやかならずと云ふので、
東京大阪の新聞社からも
記者を派遣することになりましたが、
まだ其時は從軍記者といふわけではなく、
各社から思ひ思ひに
通信員を送り出したといふに過ぎないので、
直接には軍隊とは何の關係もありませんでした。
そのうちに事態いよいよ危急に迫つて、
七月二十九日には成歡牙山の
支那兵を撃ち攘ふことになる。
この前後から朝鮮にある
各新聞記者は我が軍隊に附屬して、
初めて從軍記者といふことになりました。
戰局がますます擴大するに從つて、
内地の本社からは
第二第三の從軍記者を送つて來る。
これ等はみな陸軍省の許可を受けて、
最初から從軍新聞記者と名乘つて
渡航したのでした。
これ等の從軍記者は
宇品から御用船に乘込んで、
朝鮮の釜山又は仁川に送られたのですが、
前にもいふ通り、
何分にも初めての事で、
從軍記者に對する規律といふものが無いので、
その扮装も思ひ思ひでした。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/21
どの人もみな洋服を着てゐましたが、 p22/143
腰に白木綿の上帶を締めて、
長い日本刀を携へてゐるのがある。
槍を持つてゐるのがある。
仕込杖をたづさえてゐるのがある。
今から思へば嘘のやうですが、
其當時の從軍記者としては、
戰地へ渡つた曉に軍隊が何の程度まで
保護してくれるか判らない。
萬一負け軍とでもなつた場合には、
自衞行動をも執らなければならない。
非戰闘員とて油斷は出來ない。
まかり間違へば支那兵と
一騎打をするくらゐの
覺悟が無ければならないので、
いづれも嚴重に武装して出かけたわけです。
實際、
その當時は支那兵ばかりでなく、
朝鮮人だつて油斷出來ないのですから、
この位の威容を示す必要もあつたのです。
軍隊の方でも別にそれを咎めませんでした。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/22
昭和拾貮年拾月拾參日印刷
昭和拾貮年拾月拾八日發行
定價 貮圓
著作者 岡本綺堂
刊行者 小林美一
東京市日本橋區通二ノ四 日本橋ビル
印刷社 竹田佐藏
東京市神田區三崎町二ノ四
印刷社 一匡印刷所
東京市神田區三崎町二ノ四
製本所 柏谷製本工場
刊行所 相模書房
東京市日本橋區通二丁目四番地
日本橋ビルディング
電話 日本橋(24)九八〇・九八一番
振替 東京 一三〇四八〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1227560/138
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
HP[小野一雄のルーツ]
<大久保系圖>75《三男 慎二》
http://www.ktb.zaq.ne.jp/gfajc605/b01-03-5.html
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