《バンペテン夫人、カロライン》
【日本メソヂスト横浜教会六十年史】

【日本メソヂスト横浜教会六十年史】昭和12年
〔写真〕  p6/73
日本美以敎會二十五周年記念寫眞
 明治三十二年(1899) ※明治31年(1898)の誤記。
(場所 横濱市山手二百二十二番A角)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/6
 五 昇天者          p49/73
《バンペテン夫人、カロライン》 p53/73
 大正五年(1916)一〇月二四日
 米國にて永眠
神學校の同窓バンペテン氏と結婚し
同棲僅に三ケ月にして死別し
夫の遺志を繼いで婦人宣敎師となりて渡來し
聖經女學校の初代校長となりまた
中村愛兒園、相澤托兒園、
婦人慈善病院(赤病院)などの創立や其他の
社會事業に盡すところ甚大きかつた。
同女史は婦人傳道者を多數養成したばかりでなく
封永生や其他多くの人々を導いて
我敎會を助くることが多かつた。

同夫人が折にふれて亡夫に
就いて語らるゝところ、

さては其の繪姿に對する
恭敬貞淑な態度は
稻垣女史の頑固な耶蘇嫌ひを一變させて
入信の動機となつたといふ。

女史は生徒中
コレラや其他の傳染病患者の出た場合
自分一人で看護を引受け
係累ある人には斷じて
危險なことはさせなかつた。

明治四五年(1912)頃
病を得て歸米し
大正五年(1916)永眠せられた。

女史は容姿端麗で人々から
變粧の天使として敬慕せられて居た。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/53
昭和十二年三月十八日印刷
昭和十二年三月廿八日發行
非賣品
編纂兼發行者 南種康博
       横濱市中區三春臺一三〇
印刷者    齋藤赤次郎
       横濱市中區宮元町一丁目一六
印刷所    サイトウ印刷所
       横濱市中區宮元町一丁目一六
發行所    日本メソヂスト横濱敎會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/69

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』