『私の見た人』吉屋信子
[モルガンお雪] p40-43
うわさの女
―略―
祇園の加藤楼(彼女の長姉経営)で会見ときまって、
花束を抱えてカメランマン氏と同行、
そこの二階座敷で待つと、
ほどなくふすまが少し開きかけたが、
たちまちピシャリと閉ざされてしんかんとした。
やがて彼女のめいの〔おてる〕さんが

坂本恭啓 邸
気の毒そうに出て来て、
「写真の人が来やはりましてはな、
会えまへん。
写真撮られるの
しんどい言やはりますが」
……万事休してカメラ氏を階下に追放、
私ひとりになると彼女が現れてくれた。
パリジェンヌ好みの黒い服の姿に銀髪、
ふちなし眼鏡、
顔立ちはかつて京美人のおもかげが残っていた。
―略―
追記 「うわさの女」を執筆、
掲載が三月二十一日(昭和三十八年)
その二カ月後の五月十九日の新聞夕刊は、
モルガン・ユキさんの逝去を伝えた。
数奇なる経歴を持つ彼女は
紫野門前町の棲居でそのながかりし
老後の余生を終わったのだった。
2010年9月7日印刷
2010年9月17日発行
発行所 株式会社みすず書房
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改定版
2012年03月17日(土)
[墓参り 衣笠墓苑]
テレジア
ユキ モルガン
1881年(明治14年)11月7日生
1904年(明治37年)ジョージデニソン
モルガンと結婚
1963年(昭和38年)5月18日帰天
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176731.html
[モルガンお雪] p40-43
うわさの女
―略―
祇園の加藤楼(彼女の長姉経営)で会見ときまって、
花束を抱えてカメランマン氏と同行、
そこの二階座敷で待つと、
ほどなくふすまが少し開きかけたが、
たちまちピシャリと閉ざされてしんかんとした。
やがて彼女のめいの〔おてる〕さんが

※〔加藤てる〕昭和43年(1968)頃
撮影場所 京都市北区出雲路俵町4坂本恭啓 邸
気の毒そうに出て来て、
「写真の人が来やはりましてはな、
会えまへん。
写真撮られるの
しんどい言やはりますが」
……万事休してカメラ氏を階下に追放、
私ひとりになると彼女が現れてくれた。
パリジェンヌ好みの黒い服の姿に銀髪、
ふちなし眼鏡、
顔立ちはかつて京美人のおもかげが残っていた。
―略―
追記 「うわさの女」を執筆、
掲載が三月二十一日(昭和三十八年)
その二カ月後の五月十九日の新聞夕刊は、
モルガン・ユキさんの逝去を伝えた。
数奇なる経歴を持つ彼女は
紫野門前町の棲居でそのながかりし
老後の余生を終わったのだった。
2010年9月7日印刷
2010年9月17日発行
発行所 株式会社みすず書房
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blog[小野一雄のルーツ]改定版
2012年03月17日(土)
[墓参り 衣笠墓苑]
テレジア
ユキ モルガン
1881年(明治14年)11月7日生
1904年(明治37年)ジョージデニソン
モルガンと結婚
1963年(昭和38年)5月18日帰天
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176731.html