[明六社と共存同衆]
【日本新英傑伝:列伝体明治史】大正1年
【日本新英傑伝:列伝体明治史】
大正1年9月10日発兌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/289
《中村正直》 p187-195/304
[明六社と共存同衆] p193/304
明治六年(1873)森有禮唱首となり、
明六社を組織するや、
君も〔中村正直〕亦一員に加はり、
學業を研磨しぬ、
當時の明六社は實に新思想皷吹の源泉にして、
議論風發、
新興の氣欝勃の點は
共存同衆と共に並び稱せられき、
共存同衆とは
小野梓、大内靑巒、菊地大麓、
井上良一、江木高遠、馬場辰猪、
外山正一、矢野文雄等を以て
組織せられたるものにして、
明六社と同じく演説を試みたりき、
頃日
大内靑巒當時の狀を語りて曰く。
明治六年(1873)
西村茂樹、津田眞道、福澤諭吉、中村正直など云ふ、
當時の學者達が明六社と云ふのを起した、
自分は今でこそ年は取つて居るが
當時はマダ若く(知れたことだが)
其の明六社へは入らぬかと勸められた、
ところが自分等の若い仲間にも、
それぞれ黨派といふものではないが、
常に往來した友人がある。
其の中の餓鬼大將小野梓が、
中々強情な奴で
『ナニあんな老ぼれの仲間には入ることはない、
我々は別にやらうぢやあないか』
といふので、
彼の共存同衆といふ會が出來た、
處が明六社にせよ、
會の中では銘々演説の樣な事を
少しづつやつては居たが、
まだ公開の演説をやつた事はなかつた、
共存同衆の中でも、
菊地大麓などは西洋から戻つて來て、
まだ碌に日本語が使へないといふ始末、
當時有力な法學者であつた
井上良一の如きは、
西洋に長く居つて日本語を忘れて居る、
最初の二三分時間は、
德利の中から味噌を出す樣に、
ヤツトの事で少しづつ何か言つて居たが、
五分間も經つ中には、
モウ英語許になつてしまうと云ふ有樣であつた。
處がそこに西洋で雄辯學を習ふて歸つたといふ
江木高遠が入つて來て、
そいつは中々能くしゃべる、
それから其男を先鋒として
馬場辰猪、外山正一、矢野文雄などと
盛んに演説會をやつたものである、
是が公衆を集めて演説會といふものを開いた
我國での初めである。
と、共存同衆は固年少氣鋭の士の集合にして、
明六社の壘を摩するに足らずと雖、
覇氣横溢、
新日本男兒の石心鐡膓
欽す可きものあるなり、
吾人は茲に明六社の對比として特に附記す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/193
[KGUR関西学院大学リポジトリ]
『幕末・明治ロンドン日本人留学生と日本学生会:共存同衆への道』
Inoue, Takutoshi, 井上, 琢智
経済学論究, 58(1): 37-55
2004-06-20
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/249/1/KJ00004124396.pdf
【日本新英傑伝:列伝体明治史】大正1年
【日本新英傑伝:列伝体明治史】
大正1年9月10日発兌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/289
《中村正直》 p187-195/304
[明六社と共存同衆] p193/304
明治六年(1873)森有禮唱首となり、
明六社を組織するや、
君も〔中村正直〕亦一員に加はり、
學業を研磨しぬ、
當時の明六社は實に新思想皷吹の源泉にして、
議論風發、
新興の氣欝勃の點は
共存同衆と共に並び稱せられき、
共存同衆とは
小野梓、大内靑巒、菊地大麓、
井上良一、江木高遠、馬場辰猪、
外山正一、矢野文雄等を以て
組織せられたるものにして、
明六社と同じく演説を試みたりき、
頃日
大内靑巒當時の狀を語りて曰く。
明治六年(1873)
西村茂樹、津田眞道、福澤諭吉、中村正直など云ふ、
當時の學者達が明六社と云ふのを起した、
自分は今でこそ年は取つて居るが
當時はマダ若く(知れたことだが)
其の明六社へは入らぬかと勸められた、
ところが自分等の若い仲間にも、
それぞれ黨派といふものではないが、
常に往來した友人がある。
其の中の餓鬼大將小野梓が、
中々強情な奴で
『ナニあんな老ぼれの仲間には入ることはない、
我々は別にやらうぢやあないか』
といふので、
彼の共存同衆といふ會が出來た、
處が明六社にせよ、
會の中では銘々演説の樣な事を
少しづつやつては居たが、
まだ公開の演説をやつた事はなかつた、
共存同衆の中でも、
菊地大麓などは西洋から戻つて來て、
まだ碌に日本語が使へないといふ始末、
當時有力な法學者であつた
井上良一の如きは、
西洋に長く居つて日本語を忘れて居る、
最初の二三分時間は、
德利の中から味噌を出す樣に、
ヤツトの事で少しづつ何か言つて居たが、
五分間も經つ中には、
モウ英語許になつてしまうと云ふ有樣であつた。
處がそこに西洋で雄辯學を習ふて歸つたといふ
江木高遠が入つて來て、
そいつは中々能くしゃべる、
それから其男を先鋒として
馬場辰猪、外山正一、矢野文雄などと
盛んに演説會をやつたものである、
是が公衆を集めて演説會といふものを開いた
我國での初めである。
と、共存同衆は固年少氣鋭の士の集合にして、
明六社の壘を摩するに足らずと雖、
覇氣横溢、
新日本男兒の石心鐡膓
欽す可きものあるなり、
吾人は茲に明六社の對比として特に附記す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/193
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[KGUR関西学院大学リポジトリ]
『幕末・明治ロンドン日本人留学生と日本学生会:共存同衆への道』
Inoue, Takutoshi, 井上, 琢智
経済学論究, 58(1): 37-55
2004-06-20
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/249/1/KJ00004124396.pdf