[和泉式部之由来]西岸寺:京都府船井郡京丹波町中台桜梅
『西岸寺所蔵文書』

  本誓願寺由来
 本尊阿弥陀出来記
 並 和泉式部因縁記
      中臺村 西岸寺


 [和泉式部之由来]
人皇六十六代一条院の皇后 上東門院の侍女に
和泉式部と言いしは越前守雅致公の娘
和泉守(かみ)橘の道貞が妻女なり
故に夫の名によせて和泉式部とは申せしなり
 ―略―
[和泉式部之由来]1
〔画像〕[和泉式部之由来]1

[和泉式部之由来]2
〔画像〕[和泉式部之由来]2

[和泉式部之由来]3
〔画像〕[和泉式部之由来]3

[和泉式部之由来]4
〔画像〕[和泉式部之由来]4

[和泉式部之由来]5
〔画像〕[和泉式部之由来]5

[和泉式部之由来]6
〔画像〕[和泉式部之由来]6

[和泉式部之由来]7
〔画像〕[和泉式部之由来]7

天にきこえ瑞香四方に薫じ 見る人々は怪しむばかり
聖来迎にあづかり奉り死刹に向い瑞坐合掌をなし
念仏数遍 高声にして
人皇六十六代 一条院の御宇
正暦四 癸巳の年三月二十一日正午の時に大往生
※長暦2年(1038)戊寅
 又 由緒中重要なる記録は
 「和泉式部法名は誠心院式部専念比丘尼にして
  正暦二年卒去す」とあり。
  正暦は長暦の誤りとすれば行年五十九才となる。
※赤字部は別稿:[和泉式部を偲ぶ]伊藤正雄著
本意をば遂(とげ)にける
  極楽や 中の臺(ウテナ)の誓願寺
   和泉式部の帰し所哉
 御堂関白 藤原道長公と申奉りしは
 大織冠 藤原鎌足公十二世の御孫公なり
 是のひめぎみを 上東門院と申奉也
  日本正暦癸巳歳 今 文化二乙丑年迄
   ※正暦4年癸巳:994年 文化2年乙丑:1805年
          凡 八百二十三歳ニ也 ※811歳
  大唐北宋 二代太宋 淳和四癸巳歳に当る
           ※淳化四年(994年)
[和泉式部之由来]8
〔画像〕[和泉式部之由来]8
※転記・文責:小野一雄
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お寺の風景と陶芸
西岸寺 (京都府京丹波町) 和泉式部の墓
作成日時 : 2018/04/30 16:01
京丹波町の西岸寺には、
平安時代中期の歌人・和泉式部の墓といわれる供養塔が建っている。
和泉式部は1013年頃、夫の勤務地丹後に赴いているが、
それ以降の動静については不明なところがあり、
数多くの伝説が各地域に伝わっている。
全国に数多くの和泉式部の墓があると伝わり、
西岸寺の墓もその内の一つである。
民族学者・柳田国男の説によれば、
奈良誓願寺(現在は京都市中京区)に関わる女性が
諸国を巡ったことから生まれた伝説だろうと。
恋多き和泉式部の伝説は生まれるべくして生まれたとも。
西岸寺の開創は668年ともいわれるが、詳細は不詳である。
<京都丹波のお寺一覧>参照
(1)寺名:西岸寺(せいがんじ)
(2)住所:京都府京丹波町中台桜梅1
(3)山号:安養山  (4)宗派:曹洞宗
(5)開創:668年 (6)本尊:阿弥陀如来
(7)その他
 1)阿弥陀如来坐像:町指定文化財
 2)梵鐘:町指定文化財
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇