M3402《助産之栞》(57號)明治34年(1901)02月

緒方洪庵記念財団所蔵

《助産之栞》 第五十七號
明治三十四年二月十日發行
毎月一回十日發兌
緒方病院助産婦學會
M3402-1《助産之栞》(57號)
〔画像〕M3402-1《助産之栞》(57號)

 ◉緒方病院産科實地演習卒業生 p2/2
舊臘(昨年12月)緒方病院にては第七回産科實地演習を
開講されつゝありしが之を終結して卒業證書を授與せられたり
今卒業生諸君の氏名を聞き得たれば之を左に記載すべし
因(ちなみ)に曰く同講習生としては
醫師及醫學後期生を容るることゝなり居るが
醫師にして此科を講習するもの漸次多きを加ふるに至れりとぞ
 (姓名 いろは順)
兵庫縣 冲中 盤根
高知縣 小野 保子君 ※小野 安子
大阪府 長岡 悦子君
大阪府 村上 琴子君
大阪府 幣原 節子
 ◉内務省産婆開業試驗及第者
緒方産婆助産婦敎育所を卒業したる諸姉にして
昨■施行せられたる内務省の産婆開業試驗に及第したるものは
左の二十名にして内一名は學説試驗に合格せられたり
 (姓名いろは順)
伊東よし子   原 つら子
加藤はまの子  河■よしの子
中野きぬ子   中村みつ■子
上野きぬ子   尼池なを子
小串いよ子   山内けい子
山川しな子   山中すが子
安田とく子   松田りよ子
藤井つる子   澤上りう子
荒谷みさを子  幣原みさを子
樋口なか子
  學説合格者
高木りよ子

◉大阪慈惠病院醫學校女生徒
  修德會
名の如き會の舊年中より同校の女生徒によりて
開かれたりしことは嘗て本誌に記載せしが
今回同會員の過半數は我助産婦學會の會員となり
本會の爲に力を添へらるゝと云ふ
左の文章は同會員小野保子(小野安子)氏の
同會例會に於て述べられたる所にして
今回之を送られたれは左に記しつ
  德育に就きて
■■の中には智育と德育とは別物にして
之を應ずには各個特殊の方法と目的とあるものゝ如く考ふる人
少なからざるが如し
M3402-2《助産之栞》(57號)
〔画像〕M3402-2《助産之栞》(57號)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【助産之栞. (57)】1901-02 明治34年02月
国立国会図書館/図書館送信限定
【助産之栞】所蔵事項 (holdingIssues)
1 (明29.1)-125 (明39.10), 180号 (明44.5)-188号 (明45.1)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
門真市 古川橋駅かいわい
幣原元首相ゆかりの地
2006年1月16日付「朝日新聞」
        週間まちぶら第69号より
 門真市の京阪古川橋駅は府警察門真運転免許試験場の最寄り駅。
免許の取得や更新で1度は立ち寄ったという人も多いだろう。
だが、この街に隠れた名所が数あることは、あまり知られていない。
 大阪府出身の首相は、
堺市生まれの鈴木貫太郎と門真市出身の幣原喜重郎だけ。
 喜重郎は1872(明治5)年、
現在の古川橋駅近くの豪農の家に生まれた。
幣原家の婿養子だった父新治郎は、親類の反対を押して田畑を売り、
4人の子たちの教育に力を注いだ。
 長男 坦(たいら)は国史学者で、台北帝国大初代総長などを歴任。
 外交官になった次男喜重郎は五つの内閣で外相を務めた。
1920年代に米英との協調、中国への内政不干渉を唱え
「幣原外交」として歴史に名を残した。
 長女 操は社会事業家として病院や保育園を開設。
 次女 節は女性医師の草分けとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇