[三ノ宮村で鶏卵買い付け]松本経雄さん(真栄鶏卵代表・京都市)
:京都新聞(平成16年2004.4.11掲載)

  丹波発 ふるさとの君たちへ
102. 松本 経雄さん(真栄鶏卵代表・京都市)

[三ノ宮村で鶏卵買い付け]
 365日、山陰線で通い詰め
 松本経雄さん(真栄鶏卵代表・京都市)
 京都市内と違い、その日の三ノ宮村(現瑞穂町)周辺は大雪でした。
歩くと、ひざまで雪に埋まります。
荷物を背負ってげたを持ち、裸足で必死で歩きました。
昭和20年代の後半のことです。

 衣類や茶碗などを売り、
帰りに米や野菜、炭などを仕入れる行商を営んでいました。
雪の中、お得意さんの辻原実[A]さん宅を見つけ、飛び込みました。※下記
後に地元の養鶏組合組合長になった方です。

 驚いた辻原さんと奥さんが土間で稲わらを焼き、
冷え切った体を温めてくれました。
ほんとうにうれしかったですねえ。

 大阪市出身です。
京都市で結婚したものの、職もその日の食べ物もなく、
つてを頼って行商を始めました。
八木駅から馬路村(現亀岡市)まで歩き、闇米を仕入れましたが、
摘発も多く、扱う品物を方向転換しました。

 ある時、立木駅から歩いていくと、
たくさんのサツマイモに気づきました。
さっそく買い付けです。
相手は「どこから来たんや」と人懐こい塩田俊夫(※塩田俊雄)[B]さんでした。

(写真)三ノ宮農協集荷所前で、
鶏卵の出荷準備を終えた松本さん(右から2人目)。
後ろに鶏卵の箱が並ぶ(1961年1月4日)※昭和36年

 三ノ宮村との長い付き合いの始まりでした。
毎朝7時に二条駅で山陰線に乗り、
立木駅からは歩いて草尾峠を越え、水呑へ。
40年以上前、不段寺(※不断寺)[C]住職だった芦田哲雄[D]さんらが
地域で養鶏[E]を始めてからは、卵も買い付けるようになりました。

 当初は平飼いで、農家一戸あたり100羽ぐらい。
ヌカや魚粉を各農家がスコップでかきまぜ、
独自の配合飼料を作っていましたが、今と比べると黄身が濃い卵でした。

 竹のかごにもみがらを敷き、横は新聞紙で覆って卵を入れました。
卵を16貫(約60キロ)持ち、
旅費を稼ぐために米2斗をかついで365日、村に通いました。
鳥は毎日卵を産みますからね。
荷物の重さに耐えかね、吐きそうになることもしばしばでした。

 三ノ宮農協の宇野重太郎[F]組合長ともよく卵の話をしました。
扱う量が増え、材木商の坂本林さんには5日に1度、
ダットサンのトラックを出してもらいました。
三ノ宮村で鶏卵買い付け_p1
〔画像〕三ノ宮村で鶏卵買い付け_p1

 三ノ宮村には何10年もほんとうに世話になりました。
「いつまでもお元気で」という寄せ書きもいただきました。
私の勲章です。
それだけに「鳥インフルエンザで、みなさんどないしたはるんやろ」
と寝られませんでした。
愛着ありますもん。
できることがあれば、世話になった方に恩返ししたいと思います。
(2004.4.11 掲載)※平成16年

 まつもと・つねお  1924年(大正13年)大阪市生まれ。
京都市に転居し、教業尋常小卒。
大阪市の木津青果市場勤務の後、
大阪市の満州(中国東北部)開拓青少年義勇隊へ。
抑留を経て帰国。
戦後、口丹波で行商を始める。
現在は、だし巻き卵店経営。京都市在住。
三ノ宮村で鶏卵買い付け_p2
〔画像〕三ノ宮村で鶏卵買い付け_p2
[A]~[F]:別稿に記載
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真栄鶏卵松本商店
京都府京都市下京区朱雀宝蔵町98
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月04日 15:08 ◆京丹波町 郷土誌「三ノ宮」
辻原七五三之助『辻原翁報恩碑』郷土誌「三ノ宮」
辻原氏宅(京丹波町三ノ宮高尾69)の近くに移し替えられている。
※上記:辻原実さん宅
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