大久保村(現京丹波町)此邊[朝倉山椒]多し:
西北紀行 貝原益軒【紀行文集. 続】明治33年

【紀行文集. 続】明治33年
  西北紀行  貝原益軒 p188/530
園部(鳥羽より一里あり)は小出伊勢守殿在所なり。
宅あり。町長く民屋良(みんおくよ)からず。京より九里。
是より西に篠山道あり。但馬へ行く道なり。
三戸野嶺(みとのたうげ)(園部より一里)上下一里あり。
坂は嶮(けは)しからず。
坂の上に民家あり。其所を嶺(たうげ)と云ふ。
俗に云 山椒太夫が關を居(すゑ)し所也
(此邊船井郡也)
大久保村。
爰(こゝ)に遠見岩。強盗岩など云大石あり。
中世此邊盗賊多かりし故此名ありと云。
此邊[朝倉山椒]多し。
又 子(み)の小なるをば。
里民[びんせう]と云。
[びんせう]は何國にも之ある尋常(よのつね)の山椒也。
朝倉の木には刺(はり)多し。
 p191【紀行文集. 続】明治42年
〔画像〕p191【紀行文集. 続】明治42年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年04月22日 06:50 ◆京丹波町 野口正利議員
紅村は名所也・山内村あり土佐太守山内氏の先祖
【西北紀行 2巻】貝原篤信 記:正徳3 [1713]
  【船井郡誌】大正4年(1915)
  貝原益軒の西北紀行に
  「山内村あり、
   是れ土佐太守山内氏の先祖の住めりし所なりとぞ、
   此邊朝倉山椒多し云々」とあり。
  ※朝倉山椒:大久保村の項
朝倉山椒多し p12/51
 p12【西北紀行 2巻】1
〔画像〕p12【西北紀行 2巻】1
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[丹波人物史] 山椒太夫
山椒太夫の素性を語る口碑 ・伝承は少ないが
算所・産所等の地名考からか?
主に丹波国氷上郡(現:丹波市)の人との伝承もあります。
丹波史年表に朱雀天皇の天慶8年 (945)
久下村の山椒太夫が丹後由良に移るとある!?。
丹波市山南町池谷は朝倉山椒の特産地で、
久下(山椒)五郎兵衛(池谷久下氏の祖)は京都御所の山椒御用を承り、
亀岡付近に山椒畑を所有して
領主に献上・領主より江戸へも献上されています。 
丹波市氷上町石生は石負(イソウ)長者の名の所縁か?
・・・山椒を売って業とし、
後に丹後由良に移り千軒長者と呼ばれたとの伝承もある。
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Cafe あきのり
南丹市会議員 山下秋則(あきのり)のブログ
2019年7月 2日 (火)
6月議会報告紙 アップします
みらいねっと南丹 「パートナーシップ38号」
南丹市議会議員 山下あきのり 議員活動紙
 「朝倉山椒」
〔画像〕「朝倉山椒」
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