[小野梓と井上毅]早稲田今昔17
早稲田大学 社会科学総合学術院 島善高教授
[CAMPUS NOW] NOV.2007 11
早稲田今昔17
小野梓と井上毅
井上毅は、法制官僚として
憲法・皇室典範・教育勅語など重要法案の起草に従事し、
最終的には文部大臣になった人物であるが、
明治十四年の政変で大隈さんを政界から追放し、
また明治二十二年の大隈さんの条約改正交渉を
失敗に終わらせた黒幕でもあった。
他方、井上は小野梓ともライバル関係にあったから、
早稲田の歴史においては、
井上は常に仇敵のような存在として描かれている。
▼だが、小野と井上とは、暫くは交誼を結び、
手紙をやり取りし、互いに訪問する関係でもあった。
共存同衆の会員であった広瀬進一が、
司法省で井上の下僚であった関係で、
両者を結びつけたという。
小野が明治九年に司法省に出仕するようになったのも、
井上が嘱望したからであろう。
当時、井上は司法省で各種の立法作業に専念している最中で、
西欧法に精通した人物を求めていたからである。
▼小野はローマ法の研究で徐々にその名を知られ始めていたから、
両者は互いに手を取り合い、心事を語り合って、事を将来に期した。
また井上と小野は、共に漢詩漢文に秀でており、
漢文興隆のための学会である斯文会に所属したり、
明治十一年頃には、
矢野文雄・大内青巒・岸田吟香・中村正直・前島密・神田孝平らと
自愛社を結成して、
輸入品不使用を申し合わせたりもしている。
▼広瀬の回顧談によれば、
明治十四年の政変で
小野が官僚を辞めようとしていることを知った井上は、
小野の才を崇とし、何とかこれを思いとどまらせようとした。
小野も広瀬宛の手紙で「井上君の厚意、弟の謝する所なり」
と書いている通りである。
しかし小野の固い決意を前にして、
井上は一掬の涙を灑(そそ)ぎ、
その抱負を後日に行なう能わざるを惜しんだという(つづく)
社会科学総合学術院 島善高教授に連載をお願いしております。
〔画像〕[小野梓と井上毅]早稲田今昔17 島善高
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早稲田大学 研究者データベース
氏名 シマ ヨシタカ
島 善高
職名 教授 (https://researchmap.jp/read0029981/)
所属 (社会科学部)
早稲田今昔(17)小野梓と井上毅
島善高
キャンパスナウ(176)p.8 - 82007年11月-
〔画像〕早稲田今昔(17)小野梓と井上毅
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近代日本人の肖像
小野梓 おの あずさ
(1852〜1886)
近代日本人の肖像
井上毅 いのうえ こわし
(1844〜1895)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年05月07日 06:07 ◆小野梓 小野梓:資料
《小野梓=士族から平民》「明治14年の政変」
姜範錫=元駐日韓国公使:平成3年
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