蓮元憲城・英人ライト税關長・石川馨・宮木又七【大陸発展策より見たる元山港】大正11年

【大陸発展策より見たる元山港】高尾白浦 著 大正11年(1922)

△明治十五年四月
 蓮元憲城なる靑年あり頗る鮮語を能くす。
 彼常に貿易を盛ならしむる途は鮮民に接近し
 彼我事情に相通ずるに在りと唱へ
 茲に到り我靑年數名と共に安邊附近に出遊し
 偶々土民と衝突し衆寡敵せず
 他の靑年は免れたるも彼れ踏留まり終に殺さる。
 間行里程一里以外の故を以て顧みられず。

△明治十七年二月一日
 最惠國條約に依り元山港は各國互市場となり
 税關事務を開始す
 英人ライト税關長たり。
 されど外國商人は未だ隻影だに無し。

△明治十七年五月
 兒童敎育の爲め有志者相謀り小學敎育所を
 東本願寺別院内に設け同院輪番石川馨
 これが敎育及び管理者たり
 是れ小學校の萌芽なり。
 p44-45
〔画像〕p44-45

元山里に於ける公立尋常高等小學校
舊民團に於て元山里方面よりの通學兒童增加の趨勢に應ずべく
分校設立の計畫があつた。
偶々學校組合令實施となりしを以て之を組合に繼承し
組合は元山里上洞に地を相して校舎を新築し
大正四年二月を以て開校した。
 p80-81
〔画像〕p80-81

元山尋常高等小學校
 元山尋常高等小學校
〔画像〕元山尋常高等小學校

元山中學校
 元山中學校
〔画像〕元山中學校

明治十六年に至り最惠國條約に均霑するに至り
元山も各國互市場となるに至り
明治十七年二月税關事務を開始した。
是より英人ライトなる者最初の税關長と爲り
明治三十九年に至るまで常に外人税關長の下に
海關事務を處理せられた。
明治三十九年韓國を保護國として其の外交を統監の手に収めた結果
同年二月宮木又七元山税關長となつて以後は我邦人の手にて
海關事務を掌管する事になり其れより今日に至つた。
 p94-95
〔画像〕p94-95

大正十一年三月三十日印刷
大正十一年四月二十日發行 定價 金貮圓
著作兼 朝鮮元山府城洞一番地ノ三
發行者 高尾新右衞門
印刷者 東京市京橋區宗十郎町十五番地
    中島丑之助
印刷所 東京市京橋區宗十郎町十五番地
    東京國文社
發行所 朝鮮元山府仲町一丁目六番地
    東 書 店
 奥付
〔画像〕奥付
国立国会図書館/図書館送信限定 図書 高尾白浦 著 (東書店, 1922)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年10月12日 03:41 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[英国人ライト本港海関長ニ被任赴シテ]明治16年11月12日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年09月16日 10:50 ◆小川清秀 イギリス人[ジョージ・ノット]
[元山港:最初に英國人[ライト]が稅關長となった]明治17年(1884)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/6531591.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年08月30日 11:23 ◆小川清秀 《小川清秀:履歴書》
[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]
[備考:元山公立小學校ノ略沿革]  p11/38
明治十三年(1880)ノ開港ニ後ルルヿ五年
即 明治十八年(1885)ニ於テ
當本願寺説教所
主任僧《石川馨》ナル者
二三有志者ノ助力ニ頼リ
寺内ノ倉庫中ニ
数人ノ子弟ヲ集メテ
讀書習字ヲ教授ス
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