明智光秀は上豊田出身だったという説…《野口正利議員》
令和元年第2回京丹波町議会定例会
令和元年第2回京丹波町議会定例会(第2号)
令和元年 6月 7日(金)
開 議 午 前 9 時 0 0 分
○議長(篠塚信太郎君) p48/70
これで、森田幸子君の一般質問を終わります。
次に、野口正利君の発言を許可します。
2番、野口正利君。
○2番(野口正利君)
議席番号2番、野口正利。
ただいま、議長より通告をいただきました。
通告に従い、質問に移らせていただきます。
まず初めに、地方衰退について質問をいたします。
―略―
○2番(野口正利君) p49/70
戦前の日本を支配し、崩壊させたのは、
薩摩・長州の人間であることは明らかです。
復元と復興にかかる請求を、
薩摩・長州の人間に送ってもよいのではないかと思うのですが、
これで新庁舎が二つか三つほどは建つと思いますが。
それでは、続きまして、2点目の活性化について、質問いたします。
来年、NHKテレビで、明智光秀主演の大河ドラマが放映されます。
このことを受け、
各市町では地元の活性化に向け、取り組みがされています。
明智光秀の出生から青年期まで、
不詳となっているので、 p50/70
ここで「説」を立てて推理をはたらかせることは、
歴史ロマンを掻き立てる違った意味で活性化になると思います。
突破口をつくりたいと思います。
余りにも共通点が多過ぎることから、
明智光秀は上豊田出身だったという説を立てまして、
これから立証してみたいと思います。
歴史学者の奈良本辰也さんが、今から40年ぐらい前に、
戦国時代の武士は漢字を読める人間が少なかったと、
何かの本で読んだことがありました。
まず、
1点目に、漢字の読める人間、
2点目に、朝廷と通じ合う人間、
3点目に、明智十兵衛光秀の十と十兵衛の衛、
それから光、光秀の光、そして、
中台の天下橋、ここから引き返したという言い伝えがあります。
その橋、名前が天下橋ということになっております。
それから、十兵衛の池、
ここは光秀がつくったというふうに伝わっております。
天正8年正月17日、明智光秀の丹波攻略により、
市森城は落城、
市森城城主須知出羽守元秀の養子で山内孫十郎定家の子、
定信が須知定信で、山内氏は丹波の国紅村城主とあります。
つまり、上豊田から養子に行って、
城主に須知定信がなっているということです。
それから、青蓮院門跡寺源、
その末寺常住院領としての山内庄があったところです。
ここは天ヶ棚というところがそうなんですけれども、
ここに朝廷と深い関係にあること、
そして山内孫十郎定家の十、明智十兵衛の十、
それから伊勢七郎右衛門の衛、
この伊勢七郎右衛門という人物は、平安時代の人物で、
伊勢七郎右衛門御殿知行、
紅村がこの領地であったというふうにあります。
ちなみに、この殿山というところがあって、
今、保育所が建っているところからグラウンドにかけてがそうです。
が、伊勢七郎右衛門を指していると思われます。
あわせて、住民センターの前に道土橋となっていますが、
道の土の橋と漢字で書かれてありますけれども、
発音が「どうどうばし」で、馬をここで休めたところで、
馬をとめるときの発音が「どうどう」という、
そこからきていると思います。
そして光秀の光、寺の山号が石光山の光、
一般人にはわかりにくいと思いますけれども、
坊さんであれば、石光山は石山寺とわかるはずですが、
石山寺は文化庁が日本遺産に認定したお寺で、
奈良の東大寺、京都の東寺、北野天満宮と関係の深いお寺です。
明智氏のこの名字については諸説あるようですが、
朝廷から賜った惟任という姓、
それまでは私は片山氏を名乗っていたとみています。
片山十兵衛光秀から惟任十兵衛光秀になって、
紅村の村内、村の中に山内村と紅神殿があって、
そして山内村の少し離れたところに10数軒の片山地域があって、
この片山氏は山内氏と同じ藤原氏北家の流れを汲む氏族であるとあること。
以上から、 p51/70
片山地域出身の明智光秀を主張して、突破口にしたいと思います。
全国版ですので、宣伝費もかかりません。
本町での取り組みがあれば、お伺いいたします。
―略―
○2番(野口正利君)
私は、明治150年で目が覚めまして、
同和地域にさせられて、
明治150年は祝えないというふうに主張しました。
そうしたら、京都市内に住む多くの人も、
相当被害に遭ったので、祝えない人たちです。
それから、徳川家康の末裔に当たる人、
この人も300年で終わってしまって、族にさせられて、
それから徳川幕府のために多くの命を犠牲になった人のことを思えば、
150年は祝えないというふうに思いますし、
天皇陛下も御所に大砲を撃ち込まれて、
150年は祝えない、その人だろうというふうに思います。
明智光秀をして、
これから名誉革命が起こることを予言をしておきます。
それから、三つ目、憲法改正について、お伺いをいたします。
憲法改正は、日本の将来を占う上で重要な関心事であります。
戦争のない平和な国は、世界共通、万民の願いであります。
私は戦争を放棄した国が勝つというふうに考えております。
戦前と戦後の日本を、
戦前は薩摩・長州の支配、
戦後を薩摩・長州が統治した日本と見ると、
日本の様子がよく見えてくるわけですが、
戦後、憲法はアメリカの関与が大きいとされています。
―略―
続きまして、 p52-54/70
4点目の天皇制について、質問をさせていただきます。
―略―
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年07月26日 04:05 ◆京丹波町 野口正利議員
明智光秀が引き返したと言い伝えのある「天下橋」(中台地内)野口議員:
京丹波 議会だより[令和元年7月17日]
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年09月02日 05:06 ◆京丹波町 議会
京丹波町議会議員16名の一般質問回数(8議会):
令和元年9月1日作成
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