改版にあたって・まえがき・奥付[大野伴睦回想録]義理人情一代記・昭和39年
大野伴睦回想録 大野伴睦
義理人情一代記 弘文堂
※カバーは、1961年訪米の際ゲッティスパークに
アイゼンハゥアー元大統領を訪ねて、親しく語る著者。
大野伴睦回想録 義理人情一代記 大野伴睦著
鎌倉の長谷観音に立つ句碑
カバーは、1961年訪米の際ゲッティスパークに
アイゼンハゥアー元大統領を訪ねて、親しく語る著者。
弘文堂
右上 著者(高輪の私邸で)
右下 東京音羽の鳩山邸で、(右から)著者、母堂、
鳩山一郎氏、大野君子夫人、鳩山薫子夫人。
左上 1963年10月31日、訪台の際、松山空港で、
左から木村駐国府大使、著者、村上勇代議士、何応欽将軍。
左下 左から、村上勇代議士、著者、陳誠氏(当時行政院長)、
船田衆議院議長(台湾にて)。
右上 1963年12月大統領就任式典慶祝特派大使として訪韓の時、
右から金鍾洛氏(金鍾泌氏の実兄)、著者、
杉道助日韓会談首席代表、中川一郎代議士、德安実蔵代議士。
右下 訪韓後、記者会見する著者(中央)と杉道助(右)中川代議士(左)。
改版にあたって
私が回想録を出版して以来、
全国の老若男女の読者から山のようなお便りを頂戴した。
なかには、
「これまで私は大野伴睦という名を聞くだけでも厭だったが、
兄に推められて回想録を読み、一晩中泣いた」
との意味の長い手紙をある少女から貰った。
この少女とはある婦人雑誌記者の仲介で直接会うことも出来、
私は大変悦しかった。
またあるお医者さんの奥さんは、この回想録に感じ入り、
私の事務所に花を届けてくれたりした。
このように見知らぬ人が、私の生涯の赤裸々な記録を読み、
かつ高く評価してくれたことは、
この書がベストセラーになったことと共に、私の望外の喜びである。
しかし投書の中には、回想録が上製本で値段が高いとの意見もあった。
そこで出版社のすすめで、廉価本として再び世に出すことにした。
私は大衆政治家を自認している。
この書が広く庶民大衆の手にわたれば、何より悦しい。
もうそろそろ政界引退を考えている私にとっては、
こうして見知らぬ人々と、
心の交流が出来ることが、
我が人生の最高の幸福であると思うようになっている。
なお、この書の編集に当った私の前秘書の中川一郎君が、
今度、衆議院議員に当選したことは、
この書の大衆向廉価版が世に出ることと同時に、
私にとって、心から喜びとするところである。
昭和三十九年 節分の日に 大野伴睦
まえがき
私は政友会の院外団として、政界入りして以来今日まで、
一度もいわゆる「月給とり」になったことがない。
明日知れぬ政界浮沈の波間に、
五十年ばかりを政党生活ひとすじに過ごして来てしまった。
古稀をこえた今、政界にはもはや何の野心もなく、
時おり老後静穏な句作生活を夢みるようになった。
そんな私を見てか、周囲の友人たちが、
五十年にわたる風変りな私の政治生活の思い出を書き残しておけという。
もとより朝から晩まで公事に追い回される身なので、
十日や二十日で書きあげるわけには行かぬ。
二年、三年と書きためて、
ようやく一書となって陽の目を見るに至ったものだ。
その編集は、私の前の秘書山下勇君(藤田建設専務取締役)や
中川一郎君と、親しい新聞記者諸君をわずらわした。
こうして出来あがったこの回想録を、
私の六十余年にわたって迷惑をかけつづけた亡き母に捧げたい。
昭和三十七年夏 大野伴睦
大野伴睦回想録
大野伴睦(おおの ばんぼく)
明治23年9月岐阜県美山村に生まれる。
明治大学、早稲田大学に学ぶ。
東京市会議員となり、終身市会議員の待遇を受ける。
内務政務次官、地方制度調査会、鉄道建設審議会各委員、
皇室会議、皇室経済会議各議員、
国務大臣、北海道開発庁長官などをつとめる。
また、日本自由党幹事長、民主自由党常任顧問、
自由党総務会長、自由民主党総裁代行委員など歴任、
現在同党副総裁。
衆議院商工委員長、同通商産業委員長となり、
衆議院議長2回。衆議院当選13回。
現住所・東京都港区芝下高輪町57
昭和三九年二月二九日 新版初版発行
定価二六〇円
著 者 大野伴睦
発行者 渡辺昭男
印刷所 港北出版印刷株式会社
製本所 若林製本工場
発行所 株式会社 弘文堂
本 社 東京都千代田区神田駿河台四の四
営業所 東京都文京区西古川町一四
電話(二六〇)〇四二一
振替 東京 五三九〇九
注文日 2019年3月11日(月)
購入者 小野一雄
出品者 古書みつづみ書房
商 品 ¥600
配送料 ¥257
総 計 ¥857
〔画像〕古書みつづみ書房-1
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